2013/7/8放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も聖書のことばを紹介しましょう。このことばはエルサレムで行われた大きなユダヤの祭りである仮庵(かりいお)の祭りの最終日にイエス・キリストが語られたことばです。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ 7章37節、38節)
イエス・キリストは「渇きを覚えている人は誰でもわたしのもとに来て飲みなさい」と言われたんですねえ。
それではイエス・キリストのもとに来て飲むというのは具体的にはどういうことなんでしょうか。
それはイエス・キリストを信じること、つまりイエス・キリストを信頼し、イエス・キリストを人生の主として生きていくということなんですね。
でもこう考える人がいるかもしれません。「いやー、関根さん。うっかり飲んだら後で多額の請求書が来るんじゃないですかあ?」 そんなふうにですねえ感じる人がいるかもしれませんねえ。
旧約聖書のイザヤ書55章という所には、とても面白いことばが出て来ます。こんなことばです。
「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。」(イザヤ書 55章1節)
面白いことが書かれているんですね。「金を払わないで買え」つまり、タダで受け取れ、という訳ですね。
イエス・キリストは私たちを生かす生ける水、永遠の救いの代価をあなたに要求するようなことはなさらないんですよ。「渇いている人は来て飲みなさい」 イエス・キリストの与える救いはタダなんですよ、という訳ですねえ。
しかしあなたは、そんなことが本当に可能なのだろうかと考えるかもしれません。どうしてタダで受け取ることができるのだろう。そういうふうに思うかもしれませんねえ。実はそれは既にあなたのために代価が支払われているからなんだということなんですねえ。
マルコの福音書の10章というところにはイエス・キリストはこのように語られました。
「人の子---つまりイエス・キリスト---が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ 10章45節) このように書かれています。
実は私たち一人ひとりが永遠の救い、生ける水を受け取ることができるために、イエス・キリストは既に十字架の上で私たちのすべての罪という負債をね、身代わりとなって命をもって支払ってくださったというんです。
ですから私たちのすべきことは、イエス様が私たちのためにいのちを捨ててまで私のために救いを、渇くことのない生ける水を与えてくださるんだということを受け取って感謝することだけなんですね。
信仰に生きるというのは、それはキリストのもとに来て飲むこと、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れて歩んでいくことなんですね。
(PBA制作「世の光」2013.7.8放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info が使えます。
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世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの東海地方での放送に協力してくださるキリスト教会・キリスト者の皆様の献金は、
郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会 まで
お問い合わせは、
電話 052-762-2196 (自由ケ丘キリスト教会内) 東海福音放送協力会 へ
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。今日も聖書のことばを紹介しましょう。このことばはエルサレムで行われた大きなユダヤの祭りである仮庵(かりいお)の祭りの最終日にイエス・キリストが語られたことばです。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ 7章37節、38節)
イエス・キリストは「渇きを覚えている人は誰でもわたしのもとに来て飲みなさい」と言われたんですねえ。
それではイエス・キリストのもとに来て飲むというのは具体的にはどういうことなんでしょうか。
それはイエス・キリストを信じること、つまりイエス・キリストを信頼し、イエス・キリストを人生の主として生きていくということなんですね。
でもこう考える人がいるかもしれません。「いやー、関根さん。うっかり飲んだら後で多額の請求書が来るんじゃないですかあ?」 そんなふうにですねえ感じる人がいるかもしれませんねえ。
旧約聖書のイザヤ書55章という所には、とても面白いことばが出て来ます。こんなことばです。
「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。」(イザヤ書 55章1節)
面白いことが書かれているんですね。「金を払わないで買え」つまり、タダで受け取れ、という訳ですね。
イエス・キリストは私たちを生かす生ける水、永遠の救いの代価をあなたに要求するようなことはなさらないんですよ。「渇いている人は来て飲みなさい」 イエス・キリストの与える救いはタダなんですよ、という訳ですねえ。
しかしあなたは、そんなことが本当に可能なのだろうかと考えるかもしれません。どうしてタダで受け取ることができるのだろう。そういうふうに思うかもしれませんねえ。実はそれは既にあなたのために代価が支払われているからなんだということなんですねえ。
マルコの福音書の10章というところにはイエス・キリストはこのように語られました。
「人の子---つまりイエス・キリスト---が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ 10章45節) このように書かれています。
実は私たち一人ひとりが永遠の救い、生ける水を受け取ることができるために、イエス・キリストは既に十字架の上で私たちのすべての罪という負債をね、身代わりとなって命をもって支払ってくださったというんです。
ですから私たちのすべきことは、イエス様が私たちのためにいのちを捨ててまで私のために救いを、渇くことのない生ける水を与えてくださるんだということを受け取って感謝することだけなんですね。
信仰に生きるというのは、それはキリストのもとに来て飲むこと、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れて歩んでいくことなんですね。
(PBA制作「世の光」2013.7.8放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
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