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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■私たちの祈りを退けないお方 / 岩井基雄

2012年09月07日 | Weblog
2012/9/7放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇66篇18節から20節です。

 「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。」 旧約聖書 詩篇66篇18節から20節

 私たちには祈り心がありますねえ。誰に祈ったら良いのか分からないときでさえ私たちは祈り願うことがあります。聖書が語る神様はあなたの祈りや願いを待っていてくださいます。

 しかしここに一つの指針があります。「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」 つまり私たちの心に正しくない思いや罪があるならば主なる神様は聞いてくださない、と言うのです。

 しかしすぐに「しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。」と続いています。どういうことでしょうか。本来ならば退けられて当たり前の私たちの祈りや求めを憐れみ豊かな神様は聞いていてくださるというのですね。

 「神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。」というその次の箇所は神様の深い恵みと憐れみ、私たちへの愛を表していると言っても良いでしょう。憐れみ豊かな神様は私たちの心の叫びやことばにならない祈りを聞き、御恵みを取り下げどころか豊かに与えてくださるのです。

 この詩篇の直前にはこのようなことばがあります。「さあ、神を恐れる者は、みな聞け。神が私のたましいになさったことを語ろう。私は、この口で神に呼ばわり、この舌であがめた。」 詩篇66篇16節、17節

 祈りを聞いてくださり、御恵みを与えてくださる神様の前で私たちの心が取り扱われ魂が変えられるとき、私たちの心や唇から神様への賛美と感謝が溢れ出るのです。神様に自分の心を向け、思いも叫びも願いも、恵み豊かな神様に祈り届けてみませんか? 何よりも神様はあなたの心を魂を変え、喜びと賛美へと導いてくださいます。あなたの祈りを聞き、あなた自身を神様が変えてくださるのです。

 (PBA制作「世の光」2012.9.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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