♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■あとの者が先になる / 福井 誠

2012年08月23日 | Weblog
2012/8/23放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あとの者が先になる」です。それではマタイの福音書の20章16節から読んでみましょう。

 「あとの者が先になり、先の者があとになるものです。

 マタイの福音書の18章から天の御国の喩え話が続いています。ここでイエス様は天の御国はぶどう園の雇い主に喩えられると言います。雇い主のどんなところに喩えられるのか興味をそそられるところですね。

 この雇い主はぶどう園で働く労働者を捜しに朝早く出掛けました。労働者を見つけると一日1デナリで雇う約束をします。1デナリは当時の日当として標準的な金額です。この雇い主は続いて朝の9時、お昼の12時、午後の3時、夕方の5時にも労働者を雇いました。

 さて夕方になり日当が支払われました。まず朝早く来た者は1デナリ、約束通りの日当でした。ところがそのあと遅れて9時に来た者も、お昼の12時、午後の3時、そして仕事が終わる間際の夕方5時に来た者も一律1デナリの日当トが支払われました。

 何か変ですねえ。実際朝早くから来て汗水垂らして働いた者から文句が出ました。夕方1時間しか働かなかった者にも同じように1デナリを支払うというのはどういう訳かと。するとこの雇い主は、約束はちゃんと守っている、むしろ私は気前が良いのだというのです。つまり天の御国は気前よく後から来た者でも誰でも受け入れてくれる愛の場であるということですね。

 そうであればこそ天の御国は私たちの希望です。真面目にきっちりと人生を生きた者だけが天国に入れるとしたら、後で悔い改めて真っ当に人生を生きたとしても天の御国に入る望みはありません。また真面目にきっちり人生を生きたとしても天の御国は神のお許し無くしては入ることはできないのです。
 この事実を忘れて自分は真面目に生きているから、真っ先に天国に入れると思いあがっていると後回しにされてしまったという気持ちになるわけです。私たちが天の御国に入れるというのは神の過分の取り扱いによるものです。罪人に過ぎない私たちの現実と神の恵み深さを覚えて歩ませて頂きましょう。

 
  (PBA制作「世の光」2012.8.23放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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