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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■いつまでも残るもの-希望 / 関根弘興

2012年08月13日 | Weblog
2012/8/13放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか関根弘興です。今日は聖書から「いつまでも残るものとは何か」ということをご一緒に考えて行きましょう。

 新約聖書 第一コリント13章13節
 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。

 聖書はいつまでも残るものは信仰と希望と愛この三つだと語っているんですね。前回はいつまでも残るものはそれは信仰だというお話をいたしました。イエス・キリストは「この天地は滅びます。しかし私のことばは決して滅びことがありません」と言われました。決して滅びることのないことばを信頼し生きるのですから、その信仰の歩みは決して失われる事はありません。そして決して滅びることのないイエス・キリストのことばはそれは私たちへの救いの約束でもあるんです。

 それではイエス・キリストの与える救いとは一体何でしょう。それは失われることのない命を与えるという約束です。イエス・キリストはこう言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節) キリストが約束されたことは死んでも生きるといういのち、決して失われることのないいのちを与えると約束されたのです。

 日本語のいのちとは「息の内」の省略されたことばだというふうに言われ。つまり、息をしている内が人生だ、死ねば終わりだという、ま、いたって合理的なことばだと言われます。でも息の内を超えた命を与えるとイエス・キリストは約束されたんですね。そしてイエス・キリスト御自身が「わたしはいのちです」と言われたのです。

 聖書ははっきりと、こう記しています。それは、「イエス・キリストは何の罪もない方なのに私たち一人ひとりの罪を背負って十字架につけられました。そして死なれたのです。しかし三日目に復活されたのだ。」と記しているんですねえ。

 もし私たちのこの息の内だけが命のすべてだと考えるなら、人は永遠の希望を得ることは不可能です。しかしもし死というものを打ち破りよみがえられた方がいるなら、その方の与える命は永遠に続くとは思いませんか。そしてイエス・キリストは死から復活されたということは、イエス・キリストが語られた約束のすべてに太鼓判が押されているということなんです。

 ですから私たちは将来を見るとき確かにいろんな困難もありますけれども、最終的にはいつまでも残る失われることのない希望、キリストのいのちを持って生きることができる。このように聖書は約束しています。

 (PBA制作「世の光」2012.8.13放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

 

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