♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■死で終わるのではない / 羽鳥頼和

2012年08月11日 | Weblog
2012/8/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 イエス様はエルサレムから少し離れたヨルダン側の向こう岸の町にいました。そこにベタニヤという町から使いがやって来ました。彼はここまで丸一日かかってやって来ました。「イエス様、あなたが愛しているあのラザロが病気で死にそうです。」 彼はイエス様に告げました。イエス様はこれを聞いて言われました。ヨハネの福音書11章4節です。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。

 この病気は死で終わるだけのものではない。つまりラザロは死ぬ。しかしそれで終わるのではないというのです。実際に使いがやって来ていた時すでにラザロはなくなっていました。もう手遅れだったのです。しかしイエス様はラザロの死はそれで終わりではないというのです。そしてイエス様は、ラザロの死はそれで終わりではない、ラザロの死は神の栄光を現す、と言われたのです。

 ここでの神の栄光とは何でしょうか。それはラザロがよみがえることを指しています。この後ラザロが死んで葬られた墓の前でイエス様は大声で「ラザロよ。出て来なさい。」(ヨハネ 11章43節)と言われました。すると死後四日も経っていたラザロがよみがえって出てきたのです。イエス様は、ラザロがよみがえったのは神様がわたしの願いを聞いてくださったからだ、と言いました。そうです。神様が死んだらラザロをよみがえらせたのです。これが神の栄光です。死んだ人をよみがえせることができる神様のすばらしさがはっきりと現わされたのです。

 11章の4節のイエス様のことばにはもう一つのことばがありました。イエス様は、ラザロは死ぬしかしそれで終わるのではないと言ってから、神の子である私も栄光を受けると言ったのです。ここでの栄光とはイエスの十字架の死と三日後のイエスのよみがえりのことです。イエス・キリストは私たちを救うために私たちの身代わりとなって十字架で死んでくださいました。そんなイエス・キリストを神様はよみがえらせました。十字架と復活はイエス・キリストの栄光であり、私たちの救いです。

 聖書のことば

 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」  ヨハネの福音書 11章25節


( PBA制作「世の光」2012.8.11放送でのお話より )

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