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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■罪赦される喜び / 岩井基雄

2012年08月03日 | Weblog
2012/8/3放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。 今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇65篇2節と3節です。

 「祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
  旧約聖書 詩篇65篇2節と3節

 私たちもまた自分の咎に圧倒されることがありますねえ。時には過去の罪や過ちを思って眠れない夜を過ごすこともあるのではないでしょうか。あなたはいかがですか?

 この詩篇の作者ダビデはイスラエルの王でしたが、人のいのちに関わるほどの取り返しのつかない大きな過ちを犯したことがあります。たとえ王であろうと自らが犯した罪には責任があり、人の前にも神様の前にもそれは問われなければなりませんでした。彼は自分の中に肉的な穢れた思い、行い、過ちがあることを認め、自分を「肉なる者」と表現しました。そして自らの咎に圧倒されつつ彼は自分の罪を神の前に告白します。愛と恵みの神は私たちの罪を明らかにし、その咎や過ちのゆえに私たちを苦しめられることがありますが、同時に私たちが心からその罪を認め告白することを待っていらっしゃるのです。そのダビデの悔い改めの告白は神に喜ばれることでした。私たちには自らの過ちや失敗を認めず他人(ひと)のせいにしたり、言い訳を探したりすることもできますが、そこには罪の赦しも罪責感の解決もありません。

 新約聖書のことばもお読みします。
 「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 新約聖書 ヨハネ第一の手紙 1章9節

 罪赦される喜びは私たちの心に静けさと賛美と喜びを与えます。あなたもこの喜びと平安を自分のものとしませんか?

 もう一度詩篇をお読みします。
 「祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。
  (旧約聖書 詩篇65篇2節と3節)

 罪と咎の赦しの道があなたにも備えられています。あなたも平安と喜びをご自分のものとなさいませんか?

 
 (PBA制作「世の光」2012.8.3放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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