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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

佐保神社の宮前に道標が復元建立

2015年03月16日 04時38分42秒 | Weblog
 15日(日)、曇り空の下、加東ライオンズクラブの清掃奉仕活動に参加し、ボーイスカウト社第一団のスカウトたちと一緒にゴミ拾いをしました。4斑にわかれて市内の主要道路沿いに捨てられた空き缶やペットボトルなどを拾って歩いたのですが、私は国道372号の貝原から社市街地を経て市役所までのコースを歩きました。その途中、佐保神社の宮前の瑞神門に通じる参道の角で、これまであった道標のそばにもう一本の道標が新たに建てられているのに気づきました。

 根元の土はまだ新しく、最近建てられたものだとわかりました。そして、細長いこの道標は真ん中あたりに接着修理をしたあともあり、これまで参道脇に折れた状態で横倒しに置かれていたいた道標ではないか、と思いました。修復して再建する話も出ていたので、遂に復活したか、と嬉しくなりました。

 横倒しの道標は、このブログで平成21年(2011)12月23日付投稿分で紹介しています。やはり、道標はこうして立っている方がいいですね。
 道標には、「右ほつけ山」「左極楽山浄土寺」と刻まれています。
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ひな人形と子ども茶会

2015年03月15日 05時18分51秒 | Weblog
        

                

 14日(土)、加東市東条公民館で加東市子どもチャレンジ教室の茶道教室のありがとう茶会が開かれました。
 子ども茶道教室には40人の子どもが参加し、月1回の茶道教室でお点前やおもてなしの心を学んできました。夏にはゆかた茶会、そして、今回は仕上げのありがとう茶会が開かれ、家族や招待客の前でお点前を披露し、お茶でもてなします。藤原茂子先生(88歳)の指導で子どもたちはお点前を披露します。2時間ぐらいの正座はちゃんとできます、という先生の言葉におどろきました。正座や和菓子さえ日常生活では縁遠くなっている子どもたちですが、お茶ともてなしのこころという日本文化を体験しながら学ぶ機会は貴重だと思いました。
 会場には地元吉井の方の古いひな人形が飾られていました。兵庫教育大学に留学しているケニアの方が飛び入りで子どもと一緒にお茶をたてました。こうした国際交流ができるのも素晴らしいことだと思います。
 タタミゼ効果という言葉を本で知りました。フランス語ですが、日本語を学習したり、日本へ留学したりした人は、やさしくなったり、思いやりが出てきたりするなど、変化が出てくることがあり、そのことを「タタミゼ」すなわち日本びいき、になったというらしいのです。タタミは畳です。それだけ日本文化には感化力があるということです。子どもたちはきっと茶道の体験を通して、落ち着きや思いやりの心や態度が生まれたことと思います。
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庭にウグイス春の声

2015年03月14日 05時53分06秒 | Weblog
 朝、小学生の登校見守りを終えて家に帰ろうとしたとき、ホーホケキョの鳴き声が聞こえました。ふと、足を止め、耳をそばだてましたが、そのあとは続きませんでした。そういえば、一緒に見守りに立っている方が2,3日前に「ウグイスが鳴いたね」と話しておられたことを思い出しました。

 家に帰り、ウグイスが鳴いたような気がすると家内に話すと「やっぱり?」と自分も聞いたような気がした、との返事。そのとき、庭の方からホーホケキョの鳴き声がはっきり聞こえました。鳴き声を耳で確かめながら、目で庭の木々の中に動きを探しました。いました、いました。木の枝を短い時間で移動しながら、ホーホケキョ、ホーホケキョとはっきり鳴いています。まだ発声練習段階なのか、ホーの部分の声ののびとつやが足りません。NHK朝の連ドラ「マッサン」が始まるまでのしばらくの間、ウグイスを楽しむことができました。春の確かな訪れを感じる朝でした。
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昭和11年-東播産業道路、社駅前橋梁等の報告

2015年03月13日 05時26分33秒 | Weblog
 昭和11年(1936)、当時の社町(現加東市立社小学校区域)町長から、社区長に宛てて、道路や橋梁、財政などの報告文書が出され、それが文書綴に綴じられています。当時の町長は大橋實次氏。のち、日本運送の社長として活躍した人物です。また、社区長は神田栄太郎氏。内容は東播産業道路、橋梁、町道、財政等に関するもので、当時のインフラ整備に関する資料となります。社駅前橋梁とは福田橋のことでしょうが、現在の福田橋は昭和30年に掛けられたものですから、その前身の橋でしょうか。



 昭和十一年十一月十六日

           社町長  大橋實次

神田栄太郎 殿

一、神戸商工会議所ト東播産業道路期成同盟会トノ五万円借款成立

 三木、西脇間産業道路改良舗装ニツキ地元町村ニ於テ(十一ヶ町村)負担スベキ十三万五千円ノ低資融通ヲ目的トシテ交渉中ノ処去ル十二日五万円無利息借款成立致シマシタ(道路竣工ノ月迠捨置爾後六十七回ニ返還)

二、産業道路ハ十三年完成ノ予定

 十一年度ニ於テ三木市場(小学校東)間改良、社大部地先舗装ヲ十二、十三年度継続完成ノ予定デス)
(十一年度分ハ最近入札サレマス)

三、社駅前橋梁架換工事

 復員五米五十鉄筋最新モダン方橋梁工費十万円
(本年入札ノ上着手ノ筈)

四、田中、社線町道工事

 田中ヨリ鳥居ニ通ズル町道工事入札ノ結果工事費千百五十円デ大熊組落札

五、税制改革後ノ町財政

 戸数割(十一年度 一四、三〇〇円)廃止サレ、地租(一〇,〇〇〇円)家屋税(十三年度ヨリ(一、六〇〇円)還元サレ小学校尋常科教員給料全額県費負担トナル関係上大ナル苦痛ハ伴ハザルモノト見テ居リマス
 税制改革案ノ内容ニ就テハ機ヲ得テ御知ラセ致シマス
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昭和12年-参与員正副評議員会協議事項

2015年03月12日 06時57分36秒 | Weblog
 昭和12年(1937)の7月19日の社町社(現加東市社)の参与員正副評議員会の協議事項の項目を書いた文書が当時の社区事務所の諸綴に綴じられています。
 今から78年前のふるさとの役員会ではどんなことが話し合われていたのかを知る資料となります。出動兵士歓送の件は、盧溝橋事件が起こり郷土兵の出動が始まったこと、また、合併の件は社町、加茂村、滝野町の旧加東郡北部町村の合併話のことでしょうか。


 昭和十二年七月十九日
            提案(※書き込み)
  参与員正副評議員会協議事項

一、土地賃貸価格調査委員選挙ノ件

一、出動兵士歓送ニ関スル件

一、産業道路特別負担金即時納入方ノ件

一、豪雨水害及浸水ニ付善処方ノ件

一、建築家屋申告方ノ件

一、生活改善調査ニ関スル件

一、三ヶ町村合併ニ関スル件

一、電気会社電柱敷地料請求ノ件

一、協議費□□期日ノ件 九月十日(※書き込み)
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昭和15年-区長会の協議事項(社町)

2015年03月11日 05時07分47秒 | Weblog
 今から75年前の昭和15年(1940)の11月、社町長から各区長宛てに区長会開催の通知が出されています。当時の社町は、現在の加東市立社小学校区域にあたりますが、組織に関する協議が予定されています。部落会、常会、部、隣保、組などの組織強化に関することが議題になっています。


 昭和十五年十一月二十二日

                    社 町 長

各区長殿

   区長会開催ノ件通知

左記ノ件至急組織結成スル必要有之候就ハ誠ニ農繁多事多忙ノ時機ニ誠ニ御足労ニハ存シ候ヘ共来ル二十四日午前八時社町役場ニ御参集相成度此段御通知申上候

   左記

一、部落会組織ニ関スル件

二、部落会区域ヲ定ムルノ件

三、部落会ニ規約制定ニ関スル件

四、部落常会ニ役員及職員ヲ置クノ件

五、事業計画決定ノ件

六、部ヲ設置スルノ件

七、常会開催スルノ件

八、実行組織トシテ隣保組織強化スルノ件

九、組ヲ組織スルノ件

一〇、十一月末日迠ニ部落会ヲ結成シ隣保数及組数及役員及職員並部長、組長隣保代表者氏名ヲ報告スルノ件
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昭和18年-応召軍人の後顧の憂いを取り除く

2015年03月10日 05時29分10秒 | Weblog
 昭和18年(1943)3月、応召軍人に関するマル秘扱いの文書が出され、当時の社(現加東市社)の常会協議事項綴に綴じられています。
 この文書の余白に鉛筆書きで「召集時ノ人数等ノ話ヲセサルコト」と書き込まれています。「近々多数の応召」があることが秘密事項扱いだったのでしょう。

マル秘 希望事項

一、応召軍人トシテ後顧ノ憂ヲ除去ノ件

応召兵トシテ後顧ノ憂ナカラシムル如ク措置ヲ講ズルハ戦力強化上銃後国民当然ノ責務ニ有之平素ヨリ多大ノ御配慮ヲ相煩シ居候処ナルモ近々多数ノ応召者ヲ出スコトニ相成候ニ就テハ此際町内挙ゲテ此等召集者ニシテ家庭上ノ悩ミアルモノニ対シテハ急速ニ之ヲ解決ニ協力シ以テ安心シテ御奉公ニ専念セシムル如ク善処致シ度ニ付部内各関係者ト御協力ノ上何分ノ措置相煩度
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昭和17年-社町入営応召帰還者歓送迎要項

2015年03月09日 05時30分44秒 | Weblog
 この歴史ブログでは、戦前戦中の軍隊に入営応召、帰還する郷土兵の歓送迎について当時の文書を紹介してきました。佐保神社での奉告祭、遺骨の出迎えなどがどのように行われていたのかを知ることができました。
 今日紹介するのは、昭和17年(1942)1月の社町常会で示された入営応召帰還等に関する要項です。大東亜戦争開戦後間もない時期のもので参考になります。

  社町入営応召(帰還)者歓送(迎)等ニ関スル要項 抜粋

一、社町ハ出発者ニ対シテハ佐保神社前ニ於テ厳粛盛大ニ奉告祭ヲ行ヒ歓送ス

 停車場又ハ停留所ヘハ親戚、団体代表ニ制限シ他ハ其場ニテ解散ス

一、社町ニ於ケル帰還者ノ歓迎ハ(日時不明ニテ町ニ於テ統一スルコト出来ザルタメ)各区毎ニ神社其他適□ノ場所ニ於テ歓迎ノ式ヲ厳粛盛大ニ行フ

 但停車(留)場ノ出迎ハ親戚又ハ団体代表ノミトシ他ハ各区ノ入口ニテ出迎フコト

一、送迎当日ハ区ハ全戸国旗ヲ掲揚スルコト

一、遺骨帰還ニ方リテハ特ニ感謝ト敬虔ノ念トヲ以テ精神的ニ之ヲ迎フルコト

一、入営応召或ハ帰還者ニ対スル面会ハ軍ノ許可アル場合ニ限リ所定ノ方法ニ依リ之レヲ行フ

 但シ此場合ト雖モ特ニ用務ノアル者以外ハ勉メテ之ヲ差扣フルコト
 許可ナキ場合ハ絶対ニ面会ヲ行カサルコト
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昭和18年-金属非常回収で文鎮や戸のレールも

2015年03月07日 04時47分24秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の夏、当時の社町社(現加東市社)の部落常会の文書綴の中に「金属非常回収」についての文書が綴じられています。
 当時、戦局が厳しくなるなか、物資不足のために金属回収が行われていましたが、官公署、神社仏閣などを対象として金属回収を行うことを通知したものです。擬宝珠や戸のレールも回収対象になっていたとは驚きました。

一、金属非常回収ニ関スル件

1.供出月日及集積場所  七月二十一日 本町役場前

2.供出者ノ範囲     官公署、神社仏閣其ノ他一般

3.回収物件ノ範囲    鋼鉄鉛ヲ材料トスル右記物件ヲ対象トス
             但シ従来特別回収ニ於テ供出洩レ残存セルモノハ此ノ際整             理供出スルコト


           記

イ 日除物金物  ロ せん風器  ハ ストーブ  ニ 看板広告板  ホ 蝶番

ヘ 戸ノレール  ト 神社仏閣唐金擬宝珠  チ 鉛  リ 文鎮  其ノ他 
 
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下三草の道標-今は役目を終え

2015年03月06日 04時21分43秒 | Weblog
 加東市下三草の、木梨、稲尾との境に近いところ、圃場整備された田圃の中を通る道脇に背の低い道標が立っていました。下三草の方から昔の街道の話を聞かせていただいていたとき、この道標の存在を知り、近くを通り掛かったので探してみました。
 正面は、仏像の下に「左 三草 右 木梨」と刻まれていました。側面の建立年や反対の側面には建立者の名前が刻まれているようですが、はっきりと読み取れませんでした。
 この台地を通る道の三草方面と木梨方面に分かれる所に建てられ、人々は道に迷うことなく往来できたことでしょう。今はその役目を終え、豊かな実りを静かに見守っています。
 
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昭和18年-9月常会で電球・真空管回収決定

2015年03月05日 05時36分15秒 | Weblog
 昭和18年(1944)、社町(現在の加東市社小学校区)の9月常会で電球や真空管の回収に関する決定がなされています。当時はこうしたものの入手も困難な状況にあったことが分かります。時代は変わって、今はLEDの時代になりました。
 その決定事項を紹介します。

一、廃電球及廃真空管回収ニ関スル件

過ル八月一日ヨリ廃電球及真空管ノ回収スルコトニナリマシタ
新球ヲ求メル場合ハ必ズ廃電球又ハ廃真空管ヲ持参セネバナリマセン
但シ盗難、紛失、若シクハ其ノ他ノ事故又ハ電灯ヲ新ニ増設シタタメ新規ニ必要ナ者ニツイテハ所轄警察署長、町内会長、又ハ部落会長ノ事実証明書ヲ附ケテ申込マネバナリマセン
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昭和18年-耕地改良事業施行

2015年03月04日 04時29分18秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、社町(現加東市立社小学校区)の常会徹底事項の項目の中に「耕地改良事業施行ニ関スル件」が挙げられています。9月の常会徹底事項では、この他に古弾丸回収、納税施設法、大日本翼賛壮年団、鶉野勤労奉仕、配給などに関する件が説明されています。そのうち、耕地整理改良事業についての文書を紹介します。

 
  耕地改良事業施行ニツイテ

戦時下主要食糧ノ増産緊急対策トシテ今回政府ニ於テ暗渠排水、客土、ため池、水路、其他水源設備工事ヲ施行シ土地ノ改良ヲナス者ニ対シ多額ノ補助ヲ為シ耕地ノ改良、水源ノ不安ヲ一掃シ以テ米麦ノ増産ヲナシ戦時下食糧ノ自給強化ヲ計画セラレタルニ付当該地調査ノ上計画樹立本月十二日迄ニ左記ニ因リ報告相成度

    記

  耕地改良計画書

施行大字 工種 改良要領 灌漑反別 工事費見込 工事完了時期 附記


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昭和19年-兵庫県告諭

2015年03月03日 05時21分19秒 | Weblog
 戦局が厳しさを増す昭和19年(1944)の夏、ちょうど終戦の約一年前に兵庫県知事名の告諭が出されています。これは地方長官に対して天皇陛下のお言葉が下され、これを受けて県民に向けて出されたものです。社町の常会では、告諭の朗読がなされていたようです。



兵庫県告諭第一号
畏クモ昭和十九年八月二十三日地方長官ニ対シ

戦局危急皇国ノ荒廃繋ツテ今日ニ在リ汝等地方長官宜シク一層奮激励精衆ヲ率ヰ官民一体戦力ヲ物心両面ニ充実シ以テ皇運ヲ扶翼スヘシ

トノ優渥ナル御言葉ヲ賜ハリタルハ聖慮深遠寔ニ恐懼感激ニ堪ヘザルコトナリ 今ヤ皇国重大ノ砌コノ有難キ御言竒ノ大御心ヲ拝シ奉リ深ク其ノ職責重大ナルヲ思ヒ日夜聖旨ヲ奉戴シ感奮興起更ニ一層奉公ノ誠ヲ竭サントス
県民宜シク相携ヘ管下一体トナリ戦力ヲ物心両面ニ充実シ総力ヲ挙ゲテ征戦完遂ニ邁進シ以テ聖旨ニ応ヘ奉ルヤウ更ニ一段ノ奮激励精ヲ期スベシ

右告諭ス

    昭和十九年八月二十七日

            兵庫県知事  成 田 一 郎
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昭和20年4月-区長会開催通知

2015年03月02日 05時06分49秒 | Weblog
 昭和20年(1945)の4月、社町(現在の加東市立社小学校区域)から区長会開催の通知が出されています。終戦4ヶ月前の頃ですが、防空対策や海軍への協力などが内容として挙げられています。今年は終戦70年の節目にあたりますが、長い日本の歴史から見れば、わずか70年という短い年月を遡ると、戦時下の日本、郷土の姿がそこには厳然として在った、ということが伝わってきます。

 至急

 昭和二十年四月十八日
                      社 町 役 場

各区長 殿

  区長会開催ノ件通知

明十九日午後七時ヨリ役場会議室ニ於テ左記ノ件ニ付キ特ニ御協議申上度候条夜分御迷惑ナガラ御足労相煩シ度此ノ段及通知候也
 追ツテ当夜御差支有之候場合ニハ必ス代人御差出度候

     記

一、防空対策ニヨル給水関係資料調査ノ件

一、嬉野第二海軍療□廠社分工場開墾□□□協力方ノ件
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昭和20年-戦局の厳しさ伝わる手書きメモ

2015年03月01日 07時32分47秒 | Weblog
 平成25年7月11日投稿の「昭和20年-戦没者公葬について」を再度読んだあと、この通知が綴じられている当時の文書綴をもう一度よく見てみると、余白に鉛筆書きのメモがありました。協議中の口頭での指示などをメモしたものでしょう。戦局が厳しさを増す昭和20年のことです。




       中村
 祭壇ノ件  生頼=供物
       臼井


 藤本勇少佐ノ顕彰方法 - 三月十日 顕彰碑建碑式
  三月十日九時藤本氏宅ニテ執行

薪供出 - 山行

警報発令中 - 子供 道路上ニ遊ブコト

鶉野行人夫供出ノ件

貯蓄目標ニ突進ノ件

木材輸送 イモノ運搬


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