31日(金)、令和3年の大晦日。午前は家の正月準備、午後は事務所の片付けと、一年の締めくくりで相変わらず忙しく作業を行いました。
本来なら、迎春準備はもっと早いうちから行うべきものだそうですが、もう何十年も、年末の30,31日に準備をしています。
小さい頃は、畳を上げて、外でパンパンと叩いて埃を取ったり、障子紙を貼り替えたり、何もかもが一新されていくような感じでした。床の間には歳神様を迎える準備、すなわち三宝に鏡餅や歳をいただく供え物を置いたり、神棚を拭い、新しい神札に取り替えたりしました。玄関に注連飾りを飾り、めがねと呼ばれる小さな注連縄にウラジロとユズリハを付けて、井戸や水道などの水回り、便所などにつけて回りました。
そうした迎春準備は歳神様を迎える準備なのだそうですが、長じても司令官の母親の指示でずっとやり続けてきました。しなくなったのは畳を上げなくなったことぐらいです。そういえば、車を洗い、小さな注連飾りを付けていました。これも今はしなくなりました。
正月には家族揃って神棚、仏壇、床の歳神様に手を合わせます。そし三宝三宝さんの米、勝ち栗、いりこ、昆布、干し柿をいただきます。歳の数だけ米をいただくのですが、子供の頃はしっかり数えていました。こうして、正月の最初の行事が終わるのです。大人になって帰省してきた子供達、といっても大人になっていますが、少なくともこれをやると正月だと感じる、といいます。我が家流ですが、ずうっと続けていると、感覚もできあがっていくんですね。
大晦日の午後11字30分、友人と息子と一緒に加東市社の持寶院に除夜の鐘を撞きにいきました。山門の上の鐘を綱を下へ引っ張って撞きます。そのあと、本堂でぜんざいの袋をいただきました。コロナのため恒例の温かいぜんざいのお接待が袋に変わったのです。そのあと、境内の大師殿にお参りし、護摩木に願いを書いて納めました。夜の照明に浮かび上がった弘法大師様のお顔は一段と白く慈愛に満ちているようでした。
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