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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

屋度の殉国英霊の碑

2014年01月09日 05時12分11秒 | Weblog
 加東市屋度の薬師堂のある墓所の入口近くに一段大きく高い石碑があります。屋度から出征し戦死された英霊の碑です。6柱の英霊の御尊名が刻まれていました。台石の周囲がコンクリートで固められ白く光っていました。最近整備されたのでしょうか。
 碑の裏面には、6柱の英霊の戦死年月日と場所が刻まれていました。昭和14年、18年、19年、そして20年の3月、5月、7月でした。戦死の地は北満、台湾沖、ニューブリテン島、ビルマ、ニューギニア、ルソン。そして、年齢は22歳、23歳、24歳、28歳が2人、39歳と刻まれていました。
 先の大戦には国中の村から町から若者が出征していきました。大陸に、南海に、島々に散華され遺骨で凱旋されたのです。未だ収集されずに密林で祖国からの迎えを待って居られる遺骨があります。安倍首相は南洋の国々を歴訪し遺骨収集を強化すると述べています。
 この殉国英霊碑は昭和26年10月に屋度によって建立されています。昭和26年9月にサンフランシスコ講和条約が調印された直後です。まだ占領中でしたが、条約の発効、独立回復を待たずに碑を建立し、郷土から出征し散華した英霊の慰霊、鎮魂をしたのでしょう。瞑目合掌、拝礼しました。
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