2月11日、加東市河高の八幡神社の厄除け祭りで、神社のある山の上では恒例のお金まきが行われました。これは、地元出身の成功者や厄年の人たちがお金(硬貨)をまいて、それを子どもたちが拾うという行事です。
山頂には、大きな岩盤がむき出しになっており、その真ん中に巨大な岩が屹立し、注連縄が張られた巨石の天辺には祠が安置されています。写真のように、巨石の前には法被姿の子どもたちが群れており、そこへ袋やお盆に硬貨や菓子、餅などを持った人たちが現れ、祠にお供えをしたあと、子どもの方に向かってまきます。子どもたちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子どもの家族や参拝の人々が微笑みながらみています。
河高八幡さんは、今から約470年前の天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。去年までは子どもが穴を掘るなどして自分の陣地をつくっていたのですが、今年はそれはやってはならないということになっていました。
ある時期、この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判がありました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。
今年は、穏やかな天気で、おいしいうどん、おでんをいただき、帰りに温泉たまごまでいただいて身も心も温まったお祭りでした。
山頂には、大きな岩盤がむき出しになっており、その真ん中に巨大な岩が屹立し、注連縄が張られた巨石の天辺には祠が安置されています。写真のように、巨石の前には法被姿の子どもたちが群れており、そこへ袋やお盆に硬貨や菓子、餅などを持った人たちが現れ、祠にお供えをしたあと、子どもの方に向かってまきます。子どもたちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子どもの家族や参拝の人々が微笑みながらみています。
河高八幡さんは、今から約470年前の天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。去年までは子どもが穴を掘るなどして自分の陣地をつくっていたのですが、今年はそれはやってはならないということになっていました。
ある時期、この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判がありました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。
今年は、穏やかな天気で、おいしいうどん、おでんをいただき、帰りに温泉たまごまでいただいて身も心も温まったお祭りでした。
来年は行ってみようと思います。