16日(水)、加東市内では各地区で盆踊りが行われました。東条ダムの麓、黒谷地区では若宮八幡神社の境内で盆踊りが行われ、地区の老若男女、他地域からの参加者などで踊りの輪ができました。
夜10時、。伝統の神事、柱祭りが始まりました。「柱祭り」とは、この黒谷地区で、8月16日に行われ、「ヤマ」とよばれる松の木を軸にしてつくられた大きな木の柱を燃やす伝統行事のことです。加東市の無形民族文化財に指定されています。
静かになった境内、神主さんと黒谷地区の役員さんらが若宮八幡宮の本殿で神事を行い、松明に火がつけられました。その火を先頭に神主さん、役員さんが八幡神社を少し東に下ったところにある広場につくられた「ヤマ」まで歩いて運びました。
「ヤマ」は8月7日に当番の組(黒谷地区には上、下の2組がある)の人々が伐り出して、16日まで乾燥させておいたものを組んてつくったものです。高さは家の屋根ほどあり、山に見立てたものだと言われています。軸となる松の木のてっぺんには御幣がつけられています。雨が降っても風が吹いても7日に伐りだし、16日に組むということが決まっているということです。近頃は適当な松が少なくなり木を選ぶのに苦労しているということでした。真っ暗ななか、近寄ってみると、組まれた「ヤマ」がぼんやりと浮かび上がって見えました。
役員さんの手によって「ヤマ」の軸木の下から松明の火が点火されました。3年雨が続いていましたが、今年はよく乾いてすぐに火がつきました。炎はパチパチと音をたてながら「ヤマ」を立ちのぼり、夜空に火の粉を舞い上げながら燃え上がっていきます。見守る役員、住民の間からは、「今年はよう火が上がりよる。豊作や」などといったた会話が聞こえてきました。やがて「ヤマ」は炎で包まれました。こんなによく燃えた「ヤマ」をみるのは久しぶりでした。
この珍しい祭りについては、これまでにもこの歴史ブログで紹介してきましたが、地元の方から教えていただいたことを今年も再掲します。
この「柱まつり」について、地元の方からいろいろ教えていただきました。全国に黒谷という名の村が四ヶ所ほどあり、このような火まつりをしているということです。京都の大文字の送り火に関わりのある地域に黒谷というところがあるらしく、東条の黒谷も鴨川の清水寺に近く、西門(さいもん)という字名があるように清水寺に関係も深く、16日の火まつりという共通点がある、といった話でした。この「柱まつり」の歴史的な由緒などはよく分からないということでしたが、お盆の精霊送りの行事の一つだろうということです。また、「柱松」とよばれる行事が各地にあるらしく、お盆の精霊送り、豊作祈願、疫病退散など人々の願いが込められた伝統行事であることに間違いがないでしょう。「小さい頃からこのヤマの火を見て育ってきたんや」というお年寄りの言葉にあるように地域の伝統行事を大切に継承していこうという熱い思いが伝わってきました。
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