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昨日は加東市下三草の薬師堂にある古い五輪塔を紹介しましたが、今日はその薬師堂を紹介します。といっても木立の中に息をひそめるように佇んでいる古びたお堂の姿を写真で見ていただくだけですが。
下三草について、『加東郡誌』には次のように記されています。
此の地は三草川の下流沿岸地方に位置したるを以て大字名を下三草と称す。
当地は有名なる源平の古戦場なりしを以て諸所にその遺跡を存せり。
平家戦死者供養塔、当地旧阿弥陀堂に苔むしたる五輪の塔あり。伝え云ふ、平家の侍彌平兵衛宗清平家一門の戦死者の為に建立せりと。今阿弥陀堂は前記供養塔と共に現薬師堂に合併せられたり。
悲池、旧阿弥陀堂の地を去る西方約一町許字北カチにあり。源平合戦の時平資盛の一門郎党西の谷より逃れて八島に落ち延びんとして此の池の辺に来りしが侍女の輩西の谷の要塞を顧み、はかなくも源氏の為に没落せしを悲しみ一掬の水にのんどをうるほして落ち延びたりといふ。
其の他馬の首塚、戦野等尚多し。
今、茶屋条、北かち、下条、東条の四垣内あり。
下三草について、『加東郡誌』には次のように記されています。
此の地は三草川の下流沿岸地方に位置したるを以て大字名を下三草と称す。
当地は有名なる源平の古戦場なりしを以て諸所にその遺跡を存せり。
平家戦死者供養塔、当地旧阿弥陀堂に苔むしたる五輪の塔あり。伝え云ふ、平家の侍彌平兵衛宗清平家一門の戦死者の為に建立せりと。今阿弥陀堂は前記供養塔と共に現薬師堂に合併せられたり。
悲池、旧阿弥陀堂の地を去る西方約一町許字北カチにあり。源平合戦の時平資盛の一門郎党西の谷より逃れて八島に落ち延びんとして此の池の辺に来りしが侍女の輩西の谷の要塞を顧み、はかなくも源氏の為に没落せしを悲しみ一掬の水にのんどをうるほして落ち延びたりといふ。
其の他馬の首塚、戦野等尚多し。
今、茶屋条、北かち、下条、東条の四垣内あり。
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