ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

「孝女ふさ」⑩-戦前の兵庫県地理郷土書から

2018年12月24日 05時54分48秒 | Weblog


 「孝女ふさ」の話も最終回です。今日は「孝行田」と「年譜など」を紹介します。

(10)孝行田の由来
 ふさ女は拝領の金拾両を以て、上三草村の両端、下三草村の境に広さ約一反半の田を買い入れた。里人今に字して孝行田と称している。

(11)年譜その他
 茂兵衛--茂兵衛(養子)・ふさ女(養子)--久右衛門--久右衛門(幼名清八)--善吉--伊三郎(現戸主)
   
二四二〇年 宝暦十年 ふさ女生る
二四二五年 明和二年 ふさ女六歳、養女となる
二四二八年 明和四年 ふさ女八歳、上三草村定右衛門の子守となる
二四四五年 天明五年 ふさ女二四歳、養父殁
二四五〇年 寛政二年 ふさ女三十一歳、表彰さる
二五一〇年 嘉永二年七月十七日 ふさ女九十歳歿す

 明治四十四年国定教科書にふさ女の事績が載せられしを動機として、大正十一年四月時の郡長、町村長、郡会議員、郡教育会長、小学校長等が発起して、浄罪を醵金し孝女ふさ女彰孝碑を建設し、嘗てふさ女の所有であった孝行田一段六畝五歩を買収し、之を永遠維持の資にあてた。
 今いて見るに千鳥川の近く孝行田の前に彰孝碑を建て、萬歳に徳を顕し紀念して居る。

 以上が「孝女ふさ」について記述されているすべてです。その年譜によれば、2420年、皇紀ですから西暦換算すると、ふさは西暦1760年に生まれ、幕末の1850年に亡くなっています。90歳という長命だったことにも驚きました。養家の系譜も初めて知りました。
 彰孝碑は老朽化し、地元上三草の老人会の皆さんが草引きや清掃をして下さっていますが、碑や周囲の石の玉垣は一部が破損しています。木の根が押し上げているのが原因のようです。何とか修理しなければという思いを皆さんが持っておられますが、現在、この碑の所有、管理者がはっきりしていないということでした。建設当時の発起人、組織も今は無くなっているといいます。
 「孝女ふさ」の碑が伝える「孝行」と、「孝行」を人の徳として大切に思う心を承け継ぎ、次代に伝えることが今の時代を生きる私達の使命だと思います。
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