ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

佐保神社の石垣と明神講

2009年01月04日 05時59分05秒 | Weblog
 1月2日、氏神様である佐保神社(加東市社)に家族揃って初詣に行きました。元旦の賑わいとはちがい、境内は数組の家族連れがお参りをしているだけで、穏やかな雰囲気に包まれていました。
 まず本殿に、そして境内にある小宮の御大神宮さんに参拝しました。御大神宮さんは田町(加東市社の田町筋)にあった祠ですが、昭和のはじめに境内に遷されたものです。今でも田町筋のうちの中田町町内会が夏にお祭りをしています。
 境内の東側には高さ1.5mほどの石垣があります。その石垣の上は平らになって木も植わっていて、まだ小さかった頃はこの上から境内の地面に飛び降りるのに勇気がいったことや秋祭りの屋台練りをここから見た記憶があります。
 その石垣の真ん中ほどの文字が彫りこまれた一枚の石が目にとまりました(写真)。


大正元年九月修復

 玉垣寄附者中
  周旋人
 明神講中
  社商業組合

 石工 上中村石工
     松原磯吉

と彫ってありました。この石垣は大正元年(1912)に明神講の寄附によって修復されたことが分かりました。今から96年前のことです。
 佐保神社誌によれば、明神講とは佐保神社附属の講社で「明神を祭り、神職と氏子総代を補佐して、神社発展の方途を画策し、修復再建等の事業には専ら周旋の労に当たる」ことを目的とする敬神結社であると記されています。
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