メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

荒野のガンマン

2018-06-19 14:09:17 | 映画
荒野のガンマン(The Deadly Companions、1961米、93分)
監督:サム・ペキンパー、原作・脚本:A.S.フライシュマン
モーリン・オハラ(キット)、ブライアン・キース(イエローレッグ)、スティーヴ・コクラン(ビリー)、チル・ウィルス(ターク)
 
このタイトルからマカロニ・ウェスタンと勘ちがいしたが、これはサム・ペキンパーの実質的な映画デビュー作らしい。
荒野の街にやってきた通称イエローレッグという北軍出身の男が、酒場でリンチにあっていたタークを助け、それに加わったビリーと一緒に銀行を襲おうと計画する。ところが一足先に別の集団が強盗に来て、彼らと打ち合いになるが、その際イエローレッグは間違って少年を撃ち殺してしまう。少年の母親キットは酒場に勤めながら周囲からいろいろ言われ苦労していた。彼女は以前住んでいて少年の父親の墓がある街に遺体を埋葬しに行こうとするが、そこは先住民たちの縄張りに近く危ないということで、贖罪の意識もあり、イエローレッグは他の二人と護衛していくことにする。
 
その一人タークは、実は以前南軍にいた時イエローレッグを痛めつけ、頭にひどい傷をつけていて、イエローレッグはようやく彼を見つけた、ということが見ている者にはわかる。だから帽子を絶対に脱がない(このあたりはドラマのちょっとしたアクセサリーになっている)。
 
他の二人はもちろん別の思惑をもっており、ビリーは女としてのキット、タークはどちらかというと金であり、道中はうまくいかず、結局この二人を追いやり、先住民たちを避けながら、最後は馬を失い遺体を引きずりながら目的地にようやくたどり着く。
そこへまたあの二人が現れて、、、という、結末。イエローレッグはタークに痛めつけられた傷のため、ガンマンどころではなく、まったく中らないのだが。
 
映画としては、荒野のシーンはともかく、登場人物が前述のようだから、動きの面白さには欠ける。節目節目で流れを決めていくのはキットの人間性、気品で、それはモーリン・オハラの演技とともに納得はできるのだが、この映画全体の中で、となると、中途半端な感じはぬぐえない。
 
ペキンパーというと、勝手に乾いた、非情な、そういう映像美というイメージをもっていたけれど、どうももたもたしていて、フィナーレの後味は悪くないものの、面白かったという感にはいま一つであった。各カットそのものは明解ではある。
 
ブライアン・キースはガンマンとしては、がっちりした体躯でそんなに敏捷ではない。他の二人、コクランは跳ねっかえりの軽い悪党にはぴったり、ウィルスのタークは復讐の対象としてはちょっと人間が小さいのと、痴ほう症気味であるのはどうしえか。
 
もっとも、見終わって少ししたら、これはキットの、モーリン・オハラのための映画? プロデュースとしては? という感じもしてきた。クレジットも彼女が最初で、格からしてはそうでも、この種の映画としてはめずらしいのはそのためだろうか。
 
なお、ペキンパーの経歴を見ていたら、本作の前にTVドラマ「ライフルマン」の監督の一人であった。ライフルマンを演じるのは体も顔も長いチャック・コナーズ、毎週見ていた。なつかしい!



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