須賀敦子の方へ :松山巖 著 新潮文庫
こういう本が出ているのは知らなかった。
須賀敦子(1929-1998)の著作が世に出たのは1990年あたりからで、いずれも評判になり、文庫化も早かったから、主要ないくつかは読んでいる。
イタリアを中心としたヨーロッパが背景にあって、地に足がついた知識、教養と、よく練られた文章で、読み応えがあった。
その一方で、そうだからこそだろうか、多少の疲労感が残った記憶がある。本書を読んで、幾分それがわかった気がする。
本書の著者は毎日新聞の書評委員の同僚として須賀と付き合いがあり、その後も彼女が亡くなるまでやりとりがあったようだ。
この本は須賀敦子について、;様々な角度から調べ、関係者から話をきき、彼女の生涯と作品の全貌を描き出しているが、評伝という感じではなく、著者が気になったいくつかの点を掘り下げていったという形である。一種のファンレターでもある。
それでも、須賀敦子が戦前ある程度上流の家に生まれ、多少の困難もあったが関西芦屋を中心に育ち、戦後は聖心女子大学の第一期となり、慶應の大学院からフランス留学、そしてイタリアという経緯はこれまでよりよくわかってきた。
そして本書を読んで、須賀が戦中の思い、カトリック左派との親和性、親友がカルメル会修道院に入ったことの衝撃など(これはあのプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」の会派である)ありながら、社会の運動、宗教の世界にのめりこむことはなく、考え、書くことで生き続けたことが、少し理解できたように思う。
少しちがえば、彼女が憧れたシモーヌ・ヴェイユのようになっていたかもしれない。あの時代でいえば、どちらかというとカミュとの類似を勝手に思うのだが。それが上記、読後の多少の疲労感につながるのかもしれない。
これからゆっくり再読してみようと思っている。
なお本書で残念なのは、文庫化されたときにでももう少し良い校正が入っていればもっと読みやすかったのかもしれない。新潮文庫としては今一つのところがいくつかあった。
こういう本が出ているのは知らなかった。
須賀敦子(1929-1998)の著作が世に出たのは1990年あたりからで、いずれも評判になり、文庫化も早かったから、主要ないくつかは読んでいる。
イタリアを中心としたヨーロッパが背景にあって、地に足がついた知識、教養と、よく練られた文章で、読み応えがあった。
その一方で、そうだからこそだろうか、多少の疲労感が残った記憶がある。本書を読んで、幾分それがわかった気がする。
本書の著者は毎日新聞の書評委員の同僚として須賀と付き合いがあり、その後も彼女が亡くなるまでやりとりがあったようだ。
この本は須賀敦子について、;様々な角度から調べ、関係者から話をきき、彼女の生涯と作品の全貌を描き出しているが、評伝という感じではなく、著者が気になったいくつかの点を掘り下げていったという形である。一種のファンレターでもある。
それでも、須賀敦子が戦前ある程度上流の家に生まれ、多少の困難もあったが関西芦屋を中心に育ち、戦後は聖心女子大学の第一期となり、慶應の大学院からフランス留学、そしてイタリアという経緯はこれまでよりよくわかってきた。
そして本書を読んで、須賀が戦中の思い、カトリック左派との親和性、親友がカルメル会修道院に入ったことの衝撃など(これはあのプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」の会派である)ありながら、社会の運動、宗教の世界にのめりこむことはなく、考え、書くことで生き続けたことが、少し理解できたように思う。
少しちがえば、彼女が憧れたシモーヌ・ヴェイユのようになっていたかもしれない。あの時代でいえば、どちらかというとカミュとの類似を勝手に思うのだが。それが上記、読後の多少の疲労感につながるのかもしれない。
これからゆっくり再読してみようと思っている。
なお本書で残念なのは、文庫化されたときにでももう少し良い校正が入っていればもっと読みやすかったのかもしれない。新潮文庫としては今一つのところがいくつかあった。