「おとうと」 (1960、98分)
監督:市川崑、原作:幸田文、脚本:水木洋子、撮影:宮川一夫、美術:下河原友雄、音楽:芥川也寸志
岸恵子、川口浩、田中絹代、森雅之、仲谷昇、浜村純、岸田今日子、江波杏子
NHK BS-2放送時の解説によれば、製作時に市川崑は大正の感じを出すためにカラーを調整する「銀残し」という手法を使ったらしいが、それがわかるようなポジは残っていないため、今回フィルムセンターが所蔵するネガから残っている当時の関係者立会いのもとに銀残し版を再現したという。確かにそうでないものと比較すると、肌の色など一時期のカラーフィルムの赤がきつい感じではなく、多少緑がかったものになり、樹木の緑も落ち着いたものになっている。特に多い日本家屋室内のシーンには、これはマッチしているといえるだろう。
さて私が好きな幸田文の原作である。すぐに全体を思い出せたわけではないが、映画の進行につれて記憶が甦ってきた。
冒頭の雨の中、土手を歩くシーン、百貨店で万引きの嫌疑をかけられ毅然と抗議するシーン、おそらく作者自身と思われる姉の気風が現れたところ、まさに岸恵子が見るものをとらえ、そのあとは最後まで放さない。
カット割、アップの多用は、大正時代の暗くてせまい日本家屋の中で、そういう映画としての不利を感じさせず、カメラと美術でレンブラントのような不思議な効果を出している。大スクリーンならもっと異様なまでに迫力があるだろう。
市川崑特有のミステリー・タッチになりがちなのはよしあし半分ずつだ。それは芥川也寸志の音楽にも言えて、効果よく書かれているけれど、少し饒舌すぎる。
カメラを意識して見ていたら思い出した。そう、この4年後1965年は東京オリンピック、あの記録映画は確かに同じ監督だな、なるほどである。特に弟(川口浩)がボートや馬で遊ぶところなど。
姉弟の父親(森雅之)(もちろんモデルは幸田露伴)はなかなか口を開かず、最後までその存在で意味を持たせる。継母は二人にとってやっかいな存在だが、田中絹代は一面的でない演技を最後まで見せる。
岸と川口は想定では20歳と17歳くらいなのだが、どうみてもそうとは思えない。これは戦後より大人びていたということと、同じくらいの歳では演じ切れる役者がいなかったからだろうか。
川口浩は予想通りうまくないけれども、結核になってからは持ち味がでたといえるだろう。
そしてなんといっても岸恵子である。この人の美しさ、強さの一番いいところが出ている。家に帰ってきて、もちろん着物姿で、すぐに襷がけをして家事にかかるところのかっこよさ。声が口先から出てくる欠点はここでもあるが、それも次第に気にならなくなる。最後の最後のシーンも見事で、演出ともども思わず拍手したくなるところが、この話に対する救いにもなっている。