メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ワーグナー「タンホイザー」(バイロイト2014)

2014-11-25 09:11:43 | 音楽一般
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」2014年8月12日 バイロイト祝祭大劇場
指揮:アクセル・コーバー、演出:セバスティアン・バウムガルテン
トルステン・ケール(タンホイザー)、カミラ・ニュルンド(エリーザベト)、マルクス・アイヒェ(ウォルフラム)、ヨン・グアンチョル(領主ヘルマン)、ミシェル・ブリ―ト(ヴェーヌス)
 

バイロイトには過激な演出が時々現れるけれど、これもその一つ。
架空の循環型社会、すなわち必要なものの生産も、排出物の処理とリサイクルも含んだ完結型社会が舞台で、その中のセレモニー(祭典)として、劇中劇のような形のものとなっている。
もちろんシュトラウスの「ナクソス」のような劇中劇をとりまくものはオリジナルの台本にないわけだから、そこは映像でくどいくらい文言(ドイツ語)が流れてくる(不評らしい)。
 

これがいい、とはいわないが、幾多の演出、上演の一つとしてはあってもいい。とはいえタンホイザーを映像で見たことはあまり記憶にないから、もうすこし従来型と思われるものも見たいとは考える。この設定の枠を少し頭で意識しておくと、タンホイザーという主人公が中世の領主のもとで、つまり完結した社会の中で詩人として女性への献身ということに飽きたらず、感性の自然な表出を求めてヴェーヌスのもとに行き、やがてそこでも充足せず戻ってくるが、救済を求める巡礼を命じられ、それは果たせず、女性の犠牲によって救済される、という「さまよえるオランダ人」にも共通するテーマ・進行と、この循環型社会が重なってくる。時々どちらを考えているのか、自分でもわからなくなってしまうが、それも演出の狙いかもしれない。
 

ヴェーヌスは妊娠しているという想定でおなかが大きいけれど、これもこの社会で演じた女性がたまたまそうなってたのかもしれず、演出家はそういうことも楽しんでいるのだろう。
 

タンホイザー役のケール、歌はいいが姿はちょっと贅肉がありすぎる。ウォルフラムのアイヒェは性格俳優的で、この役にはヴェルディ「ドン・カルロ」のロドリーゴのような友情あふれた男のイメージをもっていたが、この演出ではエリーザベトが好きでタンホイザーにたいしても少し意地悪なところにアクセントがおかれていた。それもありか、とは思う。
 

キャストは全体にこの社会の中で、プロのオペラ歌手ではない人たちという設定を反映してか(失礼)、さえない風貌の人たちが多いが、唯一エリーザベトだけはきれいでディーヴァ、そうでないとしまらないか。
ブリ―トのヴェーヌスはちょっと年増すぎる。
 

と、こういう風に気持ちよく浸るというものではないけれど、この作品、オーケストラがよければなんとかなる。事実録音だけで聴いていたこともかなりあるわけで、そこにいくとアクセル・コーバーの指揮は、速めのテンポで気持ちよく流れていき、全体としてうまく仕上げていた。初めてきく名前だが、今は過去の多くの優れた指揮を録音で参照できるからか、平均的なレベルは上がっているのかもしれない。

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