先にアップした「証し」、他に気がついたいくつか。
ここでインタビューされた人の多くに先祖代々仏教で、親、祖父母が熱心だった人がいる。彼らの多くはそれに反発するわけでもなく、生きていく過程でキリスト教に出会い信仰に至ったようだ
。
そして家が仏教だからというわけで多少は反対されるが、あまり後をひくということはない。また本人もいろんな経緯のなかで、仏教に傾いていったかもしれないということは言っていたり、知人の仏教についてもあまり反発はせず認めていることがあった。なかでも「親鸞」への共感は多く、中でも五木寛之「親鸞」を読んでという例が複数あった。
これ、なんとなくわかる。
他に、戦後の駐留軍の政策からいろんな派による布教が盛んに実施されたことは、想像以上であった。私の小中学校の時期、周囲で日曜学校、それに行く人たちは、かなりあったように記憶している。
救世軍については歳末に都心などで社会鍋を見る程度だったが、本書を読むと、その活動のいくつかは、貧困者などへの福祉支援、災害時の支援など、現在のいくつかの活動形態のモデルになっているように思われる。
ここでインタビューされた人の多くに先祖代々仏教で、親、祖父母が熱心だった人がいる。彼らの多くはそれに反発するわけでもなく、生きていく過程でキリスト教に出会い信仰に至ったようだ
。
そして家が仏教だからというわけで多少は反対されるが、あまり後をひくということはない。また本人もいろんな経緯のなかで、仏教に傾いていったかもしれないということは言っていたり、知人の仏教についてもあまり反発はせず認めていることがあった。なかでも「親鸞」への共感は多く、中でも五木寛之「親鸞」を読んでという例が複数あった。
これ、なんとなくわかる。
他に、戦後の駐留軍の政策からいろんな派による布教が盛んに実施されたことは、想像以上であった。私の小中学校の時期、周囲で日曜学校、それに行く人たちは、かなりあったように記憶している。
救世軍については歳末に都心などで社会鍋を見る程度だったが、本書を読むと、その活動のいくつかは、貧困者などへの福祉支援、災害時の支援など、現在のいくつかの活動形態のモデルになっているように思われる。