ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 全16曲
三月末、新型コロナで自宅からほとんど出ない期間どう過ごすかを考え、音楽を聴くことは当然その中にあったが、長期毎日となると、思いつきで何かを選ぶのも長続きしないと考え、以前に二回やったことがあるベートーヴェンのピアノソナタを1番から32番まで順に32日かけて聴く、ということを始めた。
それで、今年が作曲家の生誕250年ということも頭にうかび、ピアノトリオ、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタと続け、楽しみ、また納得するところが多かった。
それが終わってさて、ここで一区切りか、どうするか。交響曲(9曲)、ピアノ協奏曲(5曲)はこれまで全体として親しんでいるから、いずれ秋にでもと考えたのだが、問題は弦楽四重奏曲(16曲)で、ちょっと重いかな、これからだと胸突き八丁みたいに感じたが、勢いで聴いてしまわないと、これまで有名なものでも、評判の録音があると買って1~2回聴いてそのまま、という状態が続いてきた、と考え、こういう機会に聴いてみることにした。
あらためて確認すると、第1番から第6番までは作品18の1~6で、ある程度まとまって作られたようだ。作曲家にとってこのジャンルはねらいどころと考えたようで、この期間は研究、試行という感じもする。初期ではあるけれど、ピアノソナタに比べても複雑性もある。ただ聴く側からすると印象が薄いところもあり、中では1番と4番あたりが、単独でコンサートなどに取り上げられるのもなるほどと感じた。
ただそれからがすごい。中期になり、第7番~第9番(作品59の1~3)のいわゆるラズモフスキー四重奏曲で、もう一気に四重奏曲史上の代表作ともいうべきところに達してしまう。第7番は聴く者にとっても、演奏する者にとっても、楽しめるという点も含め、作曲者に感謝というところだろう。第7番は表現は映えるしインパクトも強い。また第9番は、もう作曲家が四重奏ではこのままでは済まない、どこまで突き進むのだろうということを予感させる。
そのあとの第10番、第11番で少し落ち着いた後、いよいよ晩年のすごい4曲、第12番~第15番、作品127、130、131、132にかかる。かならずしもこの順に作られたわけではないようだが、131が作曲家が目指した究極という感じはあり、132はそれによりそう、病癒えたものの感謝というか、心休まるところもありながらスケールも大きい曲である。
ただ今回こうして聴いて感じたのは、127と130の2曲のすごさで、この4曲の作曲活動の中で、かなり極端な、激烈な面で実験、研究したものではないか。130の最後の楽章はすさまじいフーガだが、これはあまりにもバランスが悪いといわれ、別に作ったもので差し替え、もとのフーガは弦楽合奏用「大フーガ」となった。これはよく演奏されるが、130の方も最初のフーガのまま演奏されることも多くなってきて、これが原典版とよばれるものである。聴くと衝撃的だが、やはりこれでいい。
最後の16番は作曲の経緯もあり落ち着いた静かなところもある曲で、評価はともかく最後に置かれるのにふさわしいかもしれない。
この期間これまで他のジャンルでは、一人の奏者、同じ組み合わせで全曲聴いてきたが、弦楽四重奏曲については一つの四重奏団の全曲録音は持っていない。
使ったのは、ブダペスト弦楽四重奏団、スメタナ四重奏団、アルバン・ベルク弦楽四重奏団、ハーゲン弦楽四重奏団で、それぞれ主に1960年代、70年代、80年代、2000年前後~を代表するものである。
いましっくりくるのはハーゲンで、主要なものはこれで聴いたが、他の3つとちがい全曲録音はしていないため、これらを組み合わせた。個々の曲、演奏について感じるところはあるが、今回は控える。
こうしてみて、今後いくつかの曲をより興味を持って聴く機会は増えてくるだろう。作曲者に感謝である。
三月末、新型コロナで自宅からほとんど出ない期間どう過ごすかを考え、音楽を聴くことは当然その中にあったが、長期毎日となると、思いつきで何かを選ぶのも長続きしないと考え、以前に二回やったことがあるベートーヴェンのピアノソナタを1番から32番まで順に32日かけて聴く、ということを始めた。
それで、今年が作曲家の生誕250年ということも頭にうかび、ピアノトリオ、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタと続け、楽しみ、また納得するところが多かった。
それが終わってさて、ここで一区切りか、どうするか。交響曲(9曲)、ピアノ協奏曲(5曲)はこれまで全体として親しんでいるから、いずれ秋にでもと考えたのだが、問題は弦楽四重奏曲(16曲)で、ちょっと重いかな、これからだと胸突き八丁みたいに感じたが、勢いで聴いてしまわないと、これまで有名なものでも、評判の録音があると買って1~2回聴いてそのまま、という状態が続いてきた、と考え、こういう機会に聴いてみることにした。
あらためて確認すると、第1番から第6番までは作品18の1~6で、ある程度まとまって作られたようだ。作曲家にとってこのジャンルはねらいどころと考えたようで、この期間は研究、試行という感じもする。初期ではあるけれど、ピアノソナタに比べても複雑性もある。ただ聴く側からすると印象が薄いところもあり、中では1番と4番あたりが、単独でコンサートなどに取り上げられるのもなるほどと感じた。
ただそれからがすごい。中期になり、第7番~第9番(作品59の1~3)のいわゆるラズモフスキー四重奏曲で、もう一気に四重奏曲史上の代表作ともいうべきところに達してしまう。第7番は聴く者にとっても、演奏する者にとっても、楽しめるという点も含め、作曲者に感謝というところだろう。第7番は表現は映えるしインパクトも強い。また第9番は、もう作曲家が四重奏ではこのままでは済まない、どこまで突き進むのだろうということを予感させる。
そのあとの第10番、第11番で少し落ち着いた後、いよいよ晩年のすごい4曲、第12番~第15番、作品127、130、131、132にかかる。かならずしもこの順に作られたわけではないようだが、131が作曲家が目指した究極という感じはあり、132はそれによりそう、病癒えたものの感謝というか、心休まるところもありながらスケールも大きい曲である。
ただ今回こうして聴いて感じたのは、127と130の2曲のすごさで、この4曲の作曲活動の中で、かなり極端な、激烈な面で実験、研究したものではないか。130の最後の楽章はすさまじいフーガだが、これはあまりにもバランスが悪いといわれ、別に作ったもので差し替え、もとのフーガは弦楽合奏用「大フーガ」となった。これはよく演奏されるが、130の方も最初のフーガのまま演奏されることも多くなってきて、これが原典版とよばれるものである。聴くと衝撃的だが、やはりこれでいい。
最後の16番は作曲の経緯もあり落ち着いた静かなところもある曲で、評価はともかく最後に置かれるのにふさわしいかもしれない。
この期間これまで他のジャンルでは、一人の奏者、同じ組み合わせで全曲聴いてきたが、弦楽四重奏曲については一つの四重奏団の全曲録音は持っていない。
使ったのは、ブダペスト弦楽四重奏団、スメタナ四重奏団、アルバン・ベルク弦楽四重奏団、ハーゲン弦楽四重奏団で、それぞれ主に1960年代、70年代、80年代、2000年前後~を代表するものである。
いましっくりくるのはハーゲンで、主要なものはこれで聴いたが、他の3つとちがい全曲録音はしていないため、これらを組み合わせた。個々の曲、演奏について感じるところはあるが、今回は控える。
こうしてみて、今後いくつかの曲をより興味を持って聴く機会は増えてくるだろう。作曲者に感謝である。