司馬遷 史記の世界:武田泰淳著 講談社文庫(1972年第1刷、1994年第33刷、後に講談社文芸文庫移り、現在絶版)
本書を読むに至った経緯は、ちょっと長くなる。二十数年前から、時々二三度手に取ったものに中島敦(1909-1942)の「山月記」がある。二回以上読む本は、恥ずかしいがめったにない。これは詩を志し、自信も持っていたのに、認められなかった男が、執着と後悔でどうにもならず、最後に山の中で虎になってしまったという、古代中国の話を題材としたもので、特に指摘される「臆病な自尊心」というテーマは、中高年の節目にある多くの人の胸に響くものがあるだろう。私もそうだったが、中島敦がこれを書いたのは享年33歳の時である。
「山月記」が入っている新潮文庫などには「李陵」が入っていて、これは漢の武帝の時代、李陵が少ない手勢を率いて匈奴対策にあたり、何度かの戦闘で善戦するも破れ捉えられてしまう。自害しようとしたが果たせず、その後匈奴の中で一生を終える。李陵が自害しなかったことから、武帝政権では彼の家族は連帯で処刑となる。誰も反対しない中、李陵と付き合いはあったが親友というほどでもなかった司馬遷がただ一人反対の論陣を張ったが、結果果たせず、彼はあえて腐刑(宮刑、去勢されること)を申し出て死刑を免れ、その後一心に「史記」を書き続けた。
この話から、今度は本書も読んでみようと思ったが、上述のように絶版になっていて、いくぶん高いが古本を求めようと思っていたところ、なんと本棚に積読になっていた。おそらく中島敦の本の次は、ということで買ってあったのだろうが、この漢籍の用語や覚えにくい登場人物の名前などをぱらぱらと見て見送ったのだろう。
今回ふたたび「山月記」と「李陵」を読んで、本書も無理をせずゆっくり読んでみようとした次第である。読みだすと、注はそれほど多くないのだが、わからない単語があってもかまわず進んでいって、理解に困るということはそれほどなかった。中学高校で漢文・東洋史をあまり熱心に勉強したわけではないが、感覚的には少し残っているのだろう。
さて、この生き恥をさらした司馬遷の半生、そして膨大な「史記」の構成と解読それにつらなる具体的な話しをこの200頁たらずによく収めたものと思う。
武田泰淳(1912-1976)は、どちらかというと濃いテーマの戦後小説家というイメージであったが、本書は最初は戦中1943年に刊行された。政治運動にかかわる過程でとらえられ、そこから離脱した(いわゆる転向といえなくもないがそういっても何も出てこない)。
本書を読めば作者がこれを書かなければ生きていけないという執念を司馬遷に重ねて書いていることは理解できる。おそらく彼が当時経験してきた社会科学的な歴史について、世界の構造とその変遷の理解、そこに生きた人間、ということについて、これまでに考えてきたこととは違う、それはこの「史記」のなかに、それを書いた司馬遷の中にある、これは書かなければならない、そういう思いが伝わってきて、最後まで読ませるのだろう。
「史記」そのものも、もちろん現代口語訳で読んでは見たいが、何分大部だし、なにかいいダイジェスト、アンソロジーがないか、と探すけれど、いまひとつのようである。それでも本書を読んだことで、司馬遷の大きな思いは頭の中に残った。
それにしても「史記」とは、なんというタイトルだろうか。「史」だけなら古今東西いくらでもある。ここに「記」がわざわざ入っていることの意味は大きい。とにかく記録すること、書き続けることである。
以前デジタル・アーカイブにかかわっていたが、「史記」というタイトルが持つ意味をそのときに、より深く考えてみたらよかったと考える。
本書を読むに至った経緯は、ちょっと長くなる。二十数年前から、時々二三度手に取ったものに中島敦(1909-1942)の「山月記」がある。二回以上読む本は、恥ずかしいがめったにない。これは詩を志し、自信も持っていたのに、認められなかった男が、執着と後悔でどうにもならず、最後に山の中で虎になってしまったという、古代中国の話を題材としたもので、特に指摘される「臆病な自尊心」というテーマは、中高年の節目にある多くの人の胸に響くものがあるだろう。私もそうだったが、中島敦がこれを書いたのは享年33歳の時である。
「山月記」が入っている新潮文庫などには「李陵」が入っていて、これは漢の武帝の時代、李陵が少ない手勢を率いて匈奴対策にあたり、何度かの戦闘で善戦するも破れ捉えられてしまう。自害しようとしたが果たせず、その後匈奴の中で一生を終える。李陵が自害しなかったことから、武帝政権では彼の家族は連帯で処刑となる。誰も反対しない中、李陵と付き合いはあったが親友というほどでもなかった司馬遷がただ一人反対の論陣を張ったが、結果果たせず、彼はあえて腐刑(宮刑、去勢されること)を申し出て死刑を免れ、その後一心に「史記」を書き続けた。
この話から、今度は本書も読んでみようと思ったが、上述のように絶版になっていて、いくぶん高いが古本を求めようと思っていたところ、なんと本棚に積読になっていた。おそらく中島敦の本の次は、ということで買ってあったのだろうが、この漢籍の用語や覚えにくい登場人物の名前などをぱらぱらと見て見送ったのだろう。
今回ふたたび「山月記」と「李陵」を読んで、本書も無理をせずゆっくり読んでみようとした次第である。読みだすと、注はそれほど多くないのだが、わからない単語があってもかまわず進んでいって、理解に困るということはそれほどなかった。中学高校で漢文・東洋史をあまり熱心に勉強したわけではないが、感覚的には少し残っているのだろう。
さて、この生き恥をさらした司馬遷の半生、そして膨大な「史記」の構成と解読それにつらなる具体的な話しをこの200頁たらずによく収めたものと思う。
武田泰淳(1912-1976)は、どちらかというと濃いテーマの戦後小説家というイメージであったが、本書は最初は戦中1943年に刊行された。政治運動にかかわる過程でとらえられ、そこから離脱した(いわゆる転向といえなくもないがそういっても何も出てこない)。
本書を読めば作者がこれを書かなければ生きていけないという執念を司馬遷に重ねて書いていることは理解できる。おそらく彼が当時経験してきた社会科学的な歴史について、世界の構造とその変遷の理解、そこに生きた人間、ということについて、これまでに考えてきたこととは違う、それはこの「史記」のなかに、それを書いた司馬遷の中にある、これは書かなければならない、そういう思いが伝わってきて、最後まで読ませるのだろう。
「史記」そのものも、もちろん現代口語訳で読んでは見たいが、何分大部だし、なにかいいダイジェスト、アンソロジーがないか、と探すけれど、いまひとつのようである。それでも本書を読んだことで、司馬遷の大きな思いは頭の中に残った。
それにしても「史記」とは、なんというタイトルだろうか。「史」だけなら古今東西いくらでもある。ここに「記」がわざわざ入っていることの意味は大きい。とにかく記録すること、書き続けることである。
以前デジタル・アーカイブにかかわっていたが、「史記」というタイトルが持つ意味をそのときに、より深く考えてみたらよかったと考える。