ひまわり(I Girasoli、1970伊、107分)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ、製作:ヴィットリオ・デ・シーカ、カルロ・ポンティ
音楽:ヘンリー・マンシーニ
ソフィア・ローレン(ジョバンナ)、マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)、リュドミラ・サベリーエワ(マーシャ)、アンナ・カレナ(アントニオの母)
その存在とある程度の筋、そして公開時の評判は知っていても見ていなかった作品を、落ち着いて見る機会が続いているが、これもその一つ。
とにかくジョバンナ役ソフィア・ローレンの、映画女優としての、見る価値が際立っている。アントニオと出会い、彼の戦線への復帰を遅らせるために結婚、しかしついに彼がソ連戦線に送られるまで、そして戦争は終わったが途絶えた消息にあきらめずソ連を探し廻りついにアンニオを探しだしたが、彼は瀕死の状態を救った娘と一緒になり娘をもうけていることがわかり絶望して帰国するまで、そして今度は彼女に会おうとイタリアにやってきたアントニオに夫と子供がいる状態で別れを告げるまで、この三段階、それぞれの年齢に応しながらも魅力を維持している女を見事に表現している。
こういう背景の映画だが、それぞれのカット、その長すぎない転換がよくできていて、このおそらく舞台でやれば息詰まる話を、二人の時間の流れに引き込み、運んでいくことに成功している。映画ならではの妙。
見る前は、愛しあう二人を戦争が引き裂いた典型的な悲劇、と想像していた。それがないわけではないが、見終わってみれば、そういう側面はあっても、人は、生きていることが、この先も生きていくことが、なにより価値があるものである、ということである。
思い出したのだが、あの「シェルブールの雨傘」も、最後は苦い一面で、そうではなかったか。どちらもちがう伴侶を得て幸せそうなのは男性の方なのだが。
後半少ししてから、アントニオとマーシャが結局一緒に幸せに暮らせればいいが、と思い始めているのに気がついた。マーシャにサベリーエワを配したのも効いている。
そしてヘンリー・マンシーニの音楽、このメロディはある世代までなら誰でも知っているであろうが、今と違ってこの時代、多くの映画音楽はまさにサウンド・トラックで、今のように既成の曲を割り当てるのではなく、完成したフィルムに対して作・編曲したものが多く、この映画ではそれが際立つ。
一つあげれば、ジョバンナの乗った列車がソ連の草原を走る、窓の外は一面のひまわり、それは美しいというより列車の動きで焦点がぼけた形で後ろに飛んでいく。そこに流れるあの音楽だが、列車の大きな揺れを反映した音の波のリズムにぴたりとよりそい、次第に増幅していく。なんとも見事な「作曲」である。先日ジャズピアノの発表会で弾いた曲といい、そのほかこのところ妙にマンシーニに縁がある。
こうやって落ち着いて見ると、この映画、深い意味でハッピー・エンドなのかもしれない。
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ、製作:ヴィットリオ・デ・シーカ、カルロ・ポンティ
音楽:ヘンリー・マンシーニ
ソフィア・ローレン(ジョバンナ)、マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)、リュドミラ・サベリーエワ(マーシャ)、アンナ・カレナ(アントニオの母)
その存在とある程度の筋、そして公開時の評判は知っていても見ていなかった作品を、落ち着いて見る機会が続いているが、これもその一つ。
とにかくジョバンナ役ソフィア・ローレンの、映画女優としての、見る価値が際立っている。アントニオと出会い、彼の戦線への復帰を遅らせるために結婚、しかしついに彼がソ連戦線に送られるまで、そして戦争は終わったが途絶えた消息にあきらめずソ連を探し廻りついにアンニオを探しだしたが、彼は瀕死の状態を救った娘と一緒になり娘をもうけていることがわかり絶望して帰国するまで、そして今度は彼女に会おうとイタリアにやってきたアントニオに夫と子供がいる状態で別れを告げるまで、この三段階、それぞれの年齢に応しながらも魅力を維持している女を見事に表現している。
こういう背景の映画だが、それぞれのカット、その長すぎない転換がよくできていて、このおそらく舞台でやれば息詰まる話を、二人の時間の流れに引き込み、運んでいくことに成功している。映画ならではの妙。
見る前は、愛しあう二人を戦争が引き裂いた典型的な悲劇、と想像していた。それがないわけではないが、見終わってみれば、そういう側面はあっても、人は、生きていることが、この先も生きていくことが、なにより価値があるものである、ということである。
思い出したのだが、あの「シェルブールの雨傘」も、最後は苦い一面で、そうではなかったか。どちらもちがう伴侶を得て幸せそうなのは男性の方なのだが。
後半少ししてから、アントニオとマーシャが結局一緒に幸せに暮らせればいいが、と思い始めているのに気がついた。マーシャにサベリーエワを配したのも効いている。
そしてヘンリー・マンシーニの音楽、このメロディはある世代までなら誰でも知っているであろうが、今と違ってこの時代、多くの映画音楽はまさにサウンド・トラックで、今のように既成の曲を割り当てるのではなく、完成したフィルムに対して作・編曲したものが多く、この映画ではそれが際立つ。
一つあげれば、ジョバンナの乗った列車がソ連の草原を走る、窓の外は一面のひまわり、それは美しいというより列車の動きで焦点がぼけた形で後ろに飛んでいく。そこに流れるあの音楽だが、列車の大きな揺れを反映した音の波のリズムにぴたりとよりそい、次第に増幅していく。なんとも見事な「作曲」である。先日ジャズピアノの発表会で弾いた曲といい、そのほかこのところ妙にマンシーニに縁がある。
こうやって落ち着いて見ると、この映画、深い意味でハッピー・エンドなのかもしれない。