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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

聖餐式(その2)

2010-11-03 09:03:20 | 教会
これから息子一家が泊まりに来ます。
主人がリフレッシュ休暇中なので、明日ヒックンを連れてどこかへ出かけようと計画しています。
昨日の続きを書きます。

イエス様はパンを弟子たちに与えました。
パンとはイエスさまのことです。イエス様は、ご自身のいのちを弟子たちに与えました。

聖書には
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)」と書かれています。
羊というのは、わたしたち人間のことです。わたしたちに永遠のいのちを与えるためイエス様は、パンとなり、ぶどう酒となってご自分のいのちをわたしたちに与えて下さいました。


「わたしたちも隣人にいのちを与えるべきです」
と牧師先生が言われるのを聞いてドキッとしました。

わたしは人にいのちを与えることができるのでしょうか・・・。
いのちを与えるとは、人のために犠牲を払うこと、仕えること、奉仕すること、捧げることも含まれていると思います。

わたしの中に潜在的にある思いは、損をしたくない、少しの犠牲も払いたくない。与えるより受けたい、仕えるより仕えてもらいたいという非常に傲慢で自己中心的なものです。

でも、イエス様はわたしのためにいのちを与えて下さり、モデルを示してくださいました。

「あなたは受けたのだから与えなさい」
神様からのメッセージが迫ってきました。

受ける資格のないようなわたしにイエスさまはいのちを与えて下さったのです。ですから、喜んで与える者になれるように祈りました。


聖餐式では
「主イエスはご自分をパンにして私に与えて下さいました。私もだれかのために一個のパンとなります。この決意をもってパンをいただきます」

と言ってパンをいただき、

「主イエスはご自分の血潮をぶどう酒にして私に与えて下さいました。私もだれかのためにぶどう酒となります。この決意をもってぶどう酒をいただきます」

と言ってぶどう液をいただきました。

だれかのために一個のパン、一杯のぶどう酒になれるようにと祈りつつ。

「受けるより与える方が幸いである。(使徒20:35)」

     おわり

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