生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ものわかりのいい人にならなくていいんだよ

2010-11-26 22:17:05 | 聖書から
昨日のタイトルは「月」の一字でしたが、今日は長いタイトルをつけました。
先週の水曜礼拝のメッセージを聞いて感じたことを書きます。


聖書に出てくる女性の中で行動力のある女性といえば、第一に思い浮かぶのがシュネムの女です。
預言者エリシャがシュネムの町を通りかかった時、ある裕福な婦人がエリシャをひきとめてごちそうし、屋上にエリシャの部屋を設けて使うようにすすめました。
エリシャはその親切にこたえて、子どもがいなかった彼女に子どもを与えると約束します。
女は約束通りみごもって男の子を生みます。男の子が大きくなって父親と畑に出かけたとき、頭痛におそわれ、しもべに連れられて家に帰ります。男の子は母親のひざの上で死んでしまいます。

さて、それから彼女のとった行動には驚かされます。
彼女は夫に、急いでエリシャのところに行くので雌ロバ一頭と若者をくださいと言います。なぜか夫に息子の死を告げません。
彼女はロバに乗ってわき目もふらずエリシャの所へいきます。エリシャの弟子、ゲハジが子どもは無事かと尋ねても「無事です」と答えるだけです。

彼女はエリシャのところへいって、訴えます。
『せっかく与えられた子がこのまま死んでしまうなんて納得がいきません。なんとかしてください』という気持ちだったのでしょう。

エリシャはゲハジに先に子どもの所へ行かせ、子どもを生き返らせようとします。しかし、子どもは生き返りません。

エリシャが主に祈り、子どもと体を重ねると、子どもは生き返りました。
彼女はエリシャの足元にひれ伏し、子を抱いて喜びました。


以上が旧約聖書Ⅱ列王記4章8-37に書かれているあらましです。

シュネムの女は、子どもが突然死んでしまったとき、受け入れられませんでした。それでエリシャに直談判に行くのです。そして、子どもを助けて下さいと必死に祈るのです。
牧師先生は、シュネムの女のしたことを肯定されました。

たとい愛する人が突然死んでも「神さまはすべてのことを働かせて益としてくださると聖書に書いてありますから・・・」と言って、すんなり受け入れられる人は少ないでしょう。
むしろ、「なぜ死んだのですか。なぜこんなことが起こるのですか。助けて下さい!」と
神さまにくらいつきたい思いになる人の方が多いのはないでしょうか。

「神さまの恵みに満足することは大切です。でも、ものわかりのいい人にならなくていいのです。ときには必死に祈り求めることが大切なのです」と牧師先生が言われました。

子どもを生き返らせるとき、ゲハジは型通りのことをしただけですぐあきらめてしまいました。でも、エリシャは必死で祈り、自分のいのちを男の子に与えるような気持ちで生き返らせました。

わたしがもし、癌があちこちに転移して余命を告げられたら、すんなりと受け入れられないと思います。泣き叫んで、そして祈るでしょう。でも、それでいいのだと教えていただいてほっとしました。



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