絵本「ちいさなリース」を読んで色々なことを考えさせられました。
ほんとうのことはわかりませんが、女の子の気持ちを想像して「花のリース」という詩を書きました。曲がついて歌になりました。昨日、この歌を子どもたちとうたいました。
花のリース
こんなこと できないんだと 思ったの
あなたの敵を 愛しなさい
それだけど 父さん母さん 言っていた
あなたの敵を 愛しなさい
*リース、リース、花のリース、あなたの心にとどけたい
イエスさまは 十字架の上で祈ってた
いたみをこらえ 祈ってた
お父さま かれらをおゆるし くださいと
十字架につけた 人のために (*くり返し)
祈ったの イエスさま見つめて 心から
敵を愛せるようにしてと
そうしたら わたしの心 変えられて
愛せるように なったのよ (*くり返し)
女の子の両親はクリスチャンだったのでしょう。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」という聖書の言葉から「あなたの敵を愛しなさい」と女の子に教えていました。
それでも、敵を愛することは簡単にできることではありません。
愛する家族を殺されて、その殺した人を愛することができるのでしょうか……。
両親を殺されたとき、女の子はひどく悲しんだでしょう。腹も立てたでしょう。殺したカロル将軍を憎んだでしょう。カロル将軍を赦し愛するなんて、とてもできないと思ったでしょう。
女の子はイエス様のことを考えました。
イエス様は十字架につけられたとき「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」と十字架につけた人のために祈っています。
女の子は自分もイエス様のようにカロル将軍を赦せるように、カロル将軍を愛せるように、カロル将軍のために祈れるようになりたいと思いました。
でも、なかなかできません。女の子は祈りました。
愛せるようにしてくださいと祈った時、カロル将軍を嫌い、うらんでいた心が変えられていきました。憎しみがとかされて愛せるようになりました。
自分の力ではなく神さまが愛の心を下さったのです。
つづく
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ほんとうのことはわかりませんが、女の子の気持ちを想像して「花のリース」という詩を書きました。曲がついて歌になりました。昨日、この歌を子どもたちとうたいました。
花のリース
こんなこと できないんだと 思ったの
あなたの敵を 愛しなさい
それだけど 父さん母さん 言っていた
あなたの敵を 愛しなさい
*リース、リース、花のリース、あなたの心にとどけたい
イエスさまは 十字架の上で祈ってた
いたみをこらえ 祈ってた
お父さま かれらをおゆるし くださいと
十字架につけた 人のために (*くり返し)
祈ったの イエスさま見つめて 心から
敵を愛せるようにしてと
そうしたら わたしの心 変えられて
愛せるように なったのよ (*くり返し)
女の子の両親はクリスチャンだったのでしょう。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」という聖書の言葉から「あなたの敵を愛しなさい」と女の子に教えていました。
それでも、敵を愛することは簡単にできることではありません。
愛する家族を殺されて、その殺した人を愛することができるのでしょうか……。
両親を殺されたとき、女の子はひどく悲しんだでしょう。腹も立てたでしょう。殺したカロル将軍を憎んだでしょう。カロル将軍を赦し愛するなんて、とてもできないと思ったでしょう。
女の子はイエス様のことを考えました。
イエス様は十字架につけられたとき「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」と十字架につけた人のために祈っています。
女の子は自分もイエス様のようにカロル将軍を赦せるように、カロル将軍を愛せるように、カロル将軍のために祈れるようになりたいと思いました。
でも、なかなかできません。女の子は祈りました。
愛せるようにしてくださいと祈った時、カロル将軍を嫌い、うらんでいた心が変えられていきました。憎しみがとかされて愛せるようになりました。
自分の力ではなく神さまが愛の心を下さったのです。
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