ヒックンが熱を出して今朝から預かっています。昨日からこちらに来ていたのですが、41、2℃まで熱が上がり、さすがにぐったりしていました。
今日は少し熱が下がったのでママは仕事に出かけ、わたしが面倒をみています。
先週、やるべきことは早目にと思ってJCPに提出する童話を書き(推敲はまだですが)、
CSメッセージの準備もしていたので余裕を持って預かることができて感謝です。
明日も預かることになりそうです。
今日は「ガン患者としての心境」はお休みして昨日の礼拝メッセージから心に残ったことを書かせていただきます。
昨日は創立記念礼拝で聖餐式もありました。
聖餐式とは、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を戴きます。
「イエスはパンを取り祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。」と聖書に書かれています。
この中に1パンを取る、2祝福する、3裂く、4与える という4つの行為があります。その中の祝福について語られました。
詩編103編にはすばらしい祝福の言葉が書かれています
主は、あなたのすべての咎を赦し
あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴からあがない、
あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さはわしのように新しくなる。
神様は、わたしたちを祝福して下さっていますが、そのことがわからない人が多いようです。
わたしもわかりませんでした。
子どもの時から良いところでなく、悪いところを指摘されることが多いと聞いたとき、わたし自身もそうであったこと。(もしかして同じぐらいだったのかもしれませんが、ほめられたことより、けなされたことの方が印象に残っています)
また、わたしが親として子どもたちに誉めることより否定する言葉をより多く言っていたような気がします。
人間は、祝福されているというより、のろわれている感覚をたやすく感じてしまうのだそうです。
神様の祝福は満ちあふれているのに・・・。
わたしたちは祝福の言葉を必要としています。だから祝福の言葉を与えるべきだと牧師先生が言われました。そして礼拝に出ている人たちを半分に分けて、祝福を相手に送るという意味でGod Bless Youを歌いあいました。
わたしもこのブログを読んでくださっている人たちに言います。
「あなたは、神様に大切な者だと宣言されています。神様の祝福があなたのうえに満ちあふれれています。God bless you!!」