生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

アブラハムに思いを寄せて(その3)

2007-06-09 13:23:43 | 聖書から
前回はアブラハムの失敗について書きましたが、アブラハムの素晴らしい信仰に圧倒されることも多いです。今日はアブラハムが神さまのテストに合格したことを書きます。


アブラハムに最大の試練が訪れました。アブラハムが100歳の時、25年も待ってやっと産まれたイサクです。目に入れても痛くないほど可愛かったでしょう。
イサクは、アブラハムにとっていちばん大事なものでした。そのイサクを全焼のいけにえとして捧げなさいと神さまが命じたのです。

当時礼拝を捧げるとき、動物を殺して捧げていました。全焼のいけにえとして捧げるとは、殺して血も内臓も取り出して焼くということです。あまりにも酷すぎる命令ではないでしょうか。わたしなら子供とどこかへ逃げ出してしまうかもしれません。

聖書にはアブラハムの心情がいっさい書かれていませんが、相当苦しんだことでしょう。聖書の行間から、4000年という時を越えてアブラハムの思いが迫ってきます。

なぜ神さまはこのような試練をアブラハムに与えたのでしょう? 神とイサクとどちらが大事なのかと突きつけられているようです。
アブラハムはイサクを深く愛していました。でも神さまの命令に従ったのです。神さまを深く信頼していたからでしょう。


神さまは、アブラハムがイサクに小刀を振り下ろそうとしたそのときストップされました。そして、イサクの代わりに雄羊を用意されました。

神さまはアブラハムが本気でイサクを捧げようとしているか試しておられたのでしょう。それは神さまが後にひとり子、イエスを捧げることを予感させるものでした。当時のアブラハムはそこまで気づかなかったと思いますが、神さまは実際ご自分の愛するひとり子を捧げたのです。

アブラハムにこのような試練を与えたのは、彼を精錬し、その信仰が純化されたものとなるためだったのですね。


やぶに角をひっかけている一頭の雄羊を見たとき、アブラハムの喜びはどれほど大きかったでしょう。

神さまの命令に従ったアブラハムの信仰に大きな感銘を受けました。そして、雄羊を備えて下さった神さまの愛の大きさと哀れみに心揺さぶられました。

主の山には備えがある(創世記22:14)

                おわり

今日はこれから子供家庭集会のはこぶねクラブです。紙芝居を持っていきます。


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