雨が降りそうで降らない日が続いていました。天気のあやしい日は教会まで歩いていくのですが、荷物が重かったので昨日は自転車で行きました。行くときは日差しも出ていたので大丈夫と思っていたら、お昼ごろから大雨。
午後、CS夏期学校の準備委員会に出たので、帰るころは雨がやむのではないかと期待していました。
小雨にはなりましたが、なかなかやまないので、合羽を着て自転車で帰ってきました。
昨日の礼拝ではマルコ6:45-51から「向かい風」というメッセージを聞きましたが、まさしく向かい風と雨の中、自転車をこぎました。
イエスさまが5つのパンと2匹の魚を用いて5千人以上の人を満腹させるという奇跡を行った直後のできごとです。イエスさまは弟子たちに強いて舟に乗り込ませ、ご自分はひとり祈るために山の方にいかれました。
弟子たちの乗った舟は向かい風で進めず、一晩中こぎあぐねていました。夜中にイエスさまは湖の上を歩いて舟に近づいていかれました。弟子たちは幽霊だと思って恐れました。
聖書にはイエスさまはそのまま通り過ぎようとされたと書かれていますが、ひどい向かい風で悪戦苦闘している弟子たちに声もかけず、通り過ぎようとされたのはなぜでしょう? と問われ、「イエスさま、ちょっと冷たいのではないですか?」と言いたくなりました。
でも恐れた弟子が叫び声を上げたとき、イエスさまは「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。
イエスさまは弟子たちがどんな目に遭っているか全部ご存じで、決して放っておかれたのではないのです。イエスさまは、弟子たちに対してあふれるほどの思いがあり、助けたくて仕方なかったのだと牧師先生が言われました。
イエスさまは弟子たちを強いて舟に乗り込ませました。弟子たちにあえて試みと訓練を与えたのです。神さまが、アブラハムに愛する子イサクを捧げなさいと言われたことと共通していると思いました。
向かい風にあうように、わたしたちも困難な出来事に遭遇することがしばしばあります。なぜこのような目にあうのだろう?と神さまに理由を問いただしたくなることがあります。でも困難のまっ最中には、たいてい理由はわからないものです。
それでも、神さまには理由がある。苦難には必ず何かの意味があると聞いて、なぜ? と問うのはもうやめようと思いました。
アウグスチヌスは、イエスは波を踏みつけて来られた。イエスは人生に災いをもたらすすべての混乱を踏みつけられた。……波を踏みつけて来られた方が私たちを助けて下さる。と言ったそうです。
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