生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

6月の家庭集会(その2)

2007-06-16 13:21:47 | 聖書から
敬愛するクリスチャン作家の三浦喜代子さん(日本クリスチャン・ペンクラブ理事)がキリスト教ラジオ放送(FEBC)に出演します。番組名は【コーヒーブレイク・インタビュー】です。放送は以下の通りです。
ラジオは、AM1566kHz 6月30日(土)午後9時55分から30分
インターネットでは、http://www.febcjp.com 6月29日朝10時から2週間です。
内容はクリスチャンライターとしてあかし文章活動をしている三浦さんの人生の証しです。ぜひお聞き下さい。


昨日に引き続き、家庭集会で学んだこと、感じたことを書かせていただきます。


イエスさまが、ひとり息子を亡くしたやもめと出会ったとき、かわいそうに思われたと聖書に書かれています。
このかわいそうに思いという言葉に
なぜキリストが地上に来なければならなかったか
が示されていると牧師先生が言われました。


神にとって最大の悲しみは人の死です。
創世記に
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。(1:27)
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生き物となった。(2:7)

と書かれているように、神さまは人を永遠に生きられる存在として造られました。ところが、人は罪を犯して死を招き入れてしまいました。

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(創世記3:15)

この聖句の言葉の意味は以下のようです
*わたし=神 *おまえ=サタン *女=エバ *おまえの子孫=悪霊 *女の子孫=人類
*彼=イエス・キリスト


これは、アダムとエバが神さまから禁じられていた木の実を食べるという罪を犯したとき、エバをそそのかした蛇に向かって神さまが言われた言葉です。原福音といわれ、イエスキリストが十字架によって死を滅ぼすということを意味しています。

神さまは人が最初に罪を犯したとき、罰を与えると同時に救いの方法も示して下さっていたのですね。


それは、神さまが、死によって人の魂が滅んでしまうことを何よりも悲しまれているからです。罪のため、滅んでしまうしかないわたしたちを救うために神さまはひとり子イエスを地上におくってくださいました。イエスさまは十字架につけられて死に、3日目によみがえり、死を滅ぼしてくださいました。そのため、わたしたちはイエスさまを信じるだけで肉体は滅びても、魂は永遠に生きられるようになったのです。

ナインの町のやもめの息子をよみがえらせたことの意味は、イエスキリストが人を死から救うメシアとして地上に来られたことを示しているのだと聞いて目が開かれた気がしました。


人は肉体と神さまの霊(まことの命)を持って生まれてきています。肉体は、どんなに健康な人でも100年余りしか生きられません。でも、まことの命は永遠なのです。初めてそのことがわかったとき、人生の空しさを感じていたわたしは、とても嬉しかったことを思い出します。


人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)




                  おわり

拍手ボタンです

web拍手