生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

6月の家庭集会(その1)

2007-06-15 18:45:38 | 聖書から

今日は我が家での家庭集会でした。7人の方が来て下さいました。聖書はルカの福音書7章11~17で、ナインという町でイエスさまがやもめのひとり息子の埋葬の列に出会い、死んでいた息子を生き返らせたことが書かれている箇所を学びました。


当時やもめ(未亡人のこと)の社会的立場は弱く、男性中心の社会でしたので女性が一人だけで生きていくのは難しいことでした。夫が死んだ場合にも跡継ぎの息子がいれば、母親である女性はその家を守ることは可能でした。
ところが、やもめのひとり息子が死んでしまったのです。母親は絶望し、放心状態になっていたのだと思います。そんなやもめのところへイエスさまは近づいて行かれます。


聖書には、主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。と書かれています。
『かわいそうに思い』
というのを読んで胸がジーンと熱くなりました。聖書の中でイエスさまの感情が書かれている箇所は少ないのですが、ここにははっきり書かれています。そして「泣かなくてもよい」と言われたのは、単なる気休めではなく、死に打ち勝つことのできる者が来たから大丈夫だよと言われているのです。
そう言われた後、イエスさまはやもめの息子を生き返らせました。


このところで、一緒に学んでいた友人が泣きました。友人は9年前に12歳の息子さんを病気で亡くしているのです。息子さんが亡くなったとき、この箇所を牧師先生が読んでくださったそうです。そのとき、「このやもめの息子はよみがえったからいいなあと思った。でも、わが子は生き返らない。どうして?と心がボロボロになるほど悲しみ、今でもつらい」と言っていました。2年前にご主人を亡くされた友人も泣いていました。
わたしも父の死のことを思ったのですが、ふたりの悲しみは、わたしのよりはるかに大きいのだと感じ、胸が痛みました。

それでも必ず天国で息子と再会できるという希望があると友は語っていました。悲しみばかり見つめないようにしている。悲しみを乗り越えることはできないけれど、悲しみではなく、イエスさまをみつめている。という言葉に感動しました。

拍手ボタンです

web拍手