「神に支えられる人生の幸い」 詩篇94篇12~23節
「しかし、『わたしの足がすべる』と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみはわたしをささえられました。」(18)
この詩は、神の義による支配と裁きを求めるものであります。1節の「あだ」とは、神の民を圧迫する諸外国なのか、弱い者を圧迫する国内の支配階級なのかはっきりしませんが、いずれにせよ、神の義による支配と裁きを祈っています。
Ⅰ 神を畏れない者と畏れる者
3~7節には神を畏れない者の姿があります。高慢で不義を行い、やもめや旅人などの弱い者を虐げ、主は見ていない、主は気づいていないと神を侮っています。それに対して詩人は、8節に神は聞いている、神は見ていると語ります。神の懲らしめを受け主のおきてを学ぶ者は幸いですが、神の懲らしめを軽んじる者は裁かれるのです。
Ⅱ 神を畏れる者を支えられる神
神を畏れている者も、時には足がすべるような経験をします(18)。また、私たちの内に思い煩いが満ちる時があります(19)。しかし、そのような時にこそ、主のいつくしみ(めぐみ)が豊かにあり、私たちを支えられるのです。ですから、追い詰められた時こそ、神が私たちの気持ちを静めてくださり、潤いとゆとりを与えてくださるように求めていきたいのです。
主を畏れ、主の前にへりくだり、主にこれからの人生も支えていただきましょう。
2014.6.22 説教者 杉本守
「しかし、『わたしの足がすべる』と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみはわたしをささえられました。」(18)
この詩は、神の義による支配と裁きを求めるものであります。1節の「あだ」とは、神の民を圧迫する諸外国なのか、弱い者を圧迫する国内の支配階級なのかはっきりしませんが、いずれにせよ、神の義による支配と裁きを祈っています。
Ⅰ 神を畏れない者と畏れる者
3~7節には神を畏れない者の姿があります。高慢で不義を行い、やもめや旅人などの弱い者を虐げ、主は見ていない、主は気づいていないと神を侮っています。それに対して詩人は、8節に神は聞いている、神は見ていると語ります。神の懲らしめを受け主のおきてを学ぶ者は幸いですが、神の懲らしめを軽んじる者は裁かれるのです。
Ⅱ 神を畏れる者を支えられる神
神を畏れている者も、時には足がすべるような経験をします(18)。また、私たちの内に思い煩いが満ちる時があります(19)。しかし、そのような時にこそ、主のいつくしみ(めぐみ)が豊かにあり、私たちを支えられるのです。ですから、追い詰められた時こそ、神が私たちの気持ちを静めてくださり、潤いとゆとりを与えてくださるように求めていきたいのです。
主を畏れ、主の前にへりくだり、主にこれからの人生も支えていただきましょう。
2014.6.22 説教者 杉本守