静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2013年11月17日 | 説教要約

「人を活かす愛」 使徒行伝9章23~31節

 パウロが大宣教者となった背後に、神は多くの人を用いられました。殉教者ステパノ、祈りの人アナニヤ、執り成しの人バルナバであります。

 石で打たれて殉教するステパノのゆるしと執り成しの祈りが、石を打つ人々の上着を預かりステパノを見ていてパウロの心を打っていたのです。彼はその祈りをふさごうと打ち消そうと迫害にのめり込みましたが、打ち消せませんでした。また、ダマスコの途上で復活の主イエスに出会い、目が見えなくなり祈っていた彼の許へ、アナニヤが遣わされました。アナニヤは、迫害者である彼の許に行くことを最初は恐れましたが、神の言葉に従い勇気を持って彼に逢い、彼のために祈り、信仰を告白する彼に洗礼を授けました。洗礼を受けた彼は、肉眼の目と心の目が開かれ、大宣教という使命をいただき、ダマスコで福音を伝えました。その後、エルサレムにて教会に加わろうとしますが、弟子達は恐れ受け入れません。しかし、バルナバが彼を執り成し、彼は教会に加わることができたのでした。

 パウロが大宣教者としての働きをはじめることができたのは、これらの者達が神に従ったからであります。

 私たちも神に従い、若者たちを祈り、受け入れ、育てていきましょう。主が私たちにして下さったように。

2013・11・17 説教者 杉本守

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天のマナ

2013年11月17日 | 天のマナ

 「神を愛し隣人を愛するとは」  「主なるあなたの神を愛せよ。」(ルカ10:27)

 先日、ある教会の一人の姉妹が急の病で天に召されました。家族が枕辺に残された祈りのメモを見つけました。そのメモは、グレース・チャペルの学び会で使っている本の著者でありますリック・ウォレン牧師の次のような祈りが書かれたものでした。「神さま、たとえ今日、何ができなかったとしても、神を愛し、また隣人を愛するときをしっかり持つことができるようにしてください。それが人生の全てなのですから」。(聖書のひかり参照)

 私たちにも、「今日はこれをした」と言えない日があるでしょう。病いの日もあるし、思ったことがはかどらなかったり、できなかったりする日もあります。しかし、ベットの上でも、家の中でも、「主よ感謝します」との祈りが、接する人(家族、友人、職場の方)への「ありがとう」のひと言が、神を愛し、また隣人を愛することになっているのです。たとい動けなくても、何かできなくても、神を愛し、隣人を愛することができるのです。

2013・11・17

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講壇の花

2013年11月17日 | 生花
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