「神につながる」
ある部族の一人のアフリカ青年が、街に行きました。街には驚くものがたくさんありましたが、一番に驚いたのが水道でした。彼の部族は毎日、川や池に水を汲みに行っていたからでした。彼は壁にはめてある蛇口から水が出てくるのを不思議そうに眺め、これは便利だと思い、帰りがけにぴかぴか光る蛇口を買って帰りました。彼は家に着くと部族の者達を集め、「もう水を汲みに行かなくても良いぞ、これがあればいくらでも水が流れる」と言い、壁にその蛇口をはめ込み栓をひねりました。皆の目が蛇口に注がれましたが、時間が経つだけで水はいっこうに流れ出しませんでした。
蛇口がいくらぴかぴか光って立派であっても、水道管、浄水場に繋がれていなくては、水は流れ出ません。私達はどうでしょうか?外側のことばかり気にして、内側である肝心な心、魂、霊のことをほっといてはいないでしょうか?内側が満たされ、内側から出る愛は、愛の源である霊なる神に繋がっていないと流れ出ないのではないでしょうか。私達人間に体だけではない、霊を造り授けてくださった神にしっかり繋がりましょう。日々の祈り、毎週の礼拝の中で。
2013・11・24