静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年11月03日 | 天のマナ

yahooの知恵袋に、二十代の女性がこんな質問を記載していました。

 簡単にまとめますと、「この方は、主人と二人暮らしで子供はいません。主人は優しく特に嫌な部分もありませんが、二年前に仕事の土木業の事故で首から下が不随になり、彼女は看病をしてきました。親には離婚を勧められましたが、一緒にいて優しく怪我にもめげずにいる主人には非があるわけでもなく、今のままで良いと心から思っていました。しかし、半年前くらいから、離婚を考えるようになりました。主人といても嫌になったわけでもなく、収入の面でもなんとかやっていけます。けれども自分の人生の方が大事になってきました。夫婦で旅行へいったり、外食をしたり、映画を観に行ったりしたいなど。わたしはおかしいでしょうか?」

 彼女の思いと感情、葛藤と叫びはどんなに大きいものでしょう。彼女も負いきれず、私たちも負いきれません。誰が悪いのでもなく誰も責められません。では、離婚したら解放されて楽になるのでしょうか。逆に良心の責め(夫を置き去りにしたのではないか)による罪責感を持つのではないでしょうか。ではどうしたらよいのでしょうか。私たちは、「結婚とは・・夫婦とは・・」と人間的なアドバイスをいろいろと言えるかもしませんが、彼女の知性には届いたとしても、心には届かないでしょう。では何もできないのでしょうか。いいえ、ただ一つの事しか言えませんが、これが本当の救いです。それは、救い主イエスにその荷を負ってもらうことです。なぜなら、生きておられる救い主イエスは、どんな重荷も困難も人間の弱さも罪もすべて負う事ができる方だからです。そして、主イエスは負うだけではなく、今の状況の中でも人間を癒し赦し活かし、溢れ輝くいのちの力を、毎日与えてくださるのです。主イエスと共に担っていけることは、何よりも増しての喜びと平安の日々となるのです。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28~30)

2013/11/3 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 主日礼拝説教要約 | トップ | 講壇の花 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

天のマナ」カテゴリの最新記事