静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年06月09日 | 天のマナ

「希望は失望に終わることはない」(ローマ5:5) 

 ある青年がシナリオ・ライターになる夢を抱き、自作の原稿を持って何度も何度もハリウッドのプロデューサーの所へ行きました。ところが、50人を越すプロデューサーから「君の作品は使えない。才能はないし時間の無駄だよ」と言われました。

 この青年は、出生時の医療ミスにより、顔面左側の神経が傷つき、麻痺を起こし、それが原因で言語障害を持ち、劣等感により卑屈になってしまいました。学校でもいじめられ、12歳の時には両親が離婚したことを切っ掛けに非行に走り、なんと14の学校から放校処分を受けました。演劇に興味を持ち、演劇学科に入学も授業料が払えなくなり2年で中退、俳優を志しオーディションを受け続けますが、54回も落ちるのでした。しかし彼はあきらめずに、三日間で書き上げた一つの作品をプロダクションに持ち込み、それがなんと不思議にも評価され、その青年自らが主役を演じ映画になりました。その作品は、あの大ヒットした「ロッキー」で、第49回アカデミー賞・作品賞を獲得したのでした。この青年の名は、シルベスター・スタローンでした。

 人を創造された神は、素晴らしいタラントを一人一人に与えられているのです。私たちもそのタラントを活かし、希望をもって歩み主の栄光をあらわしましょう。

2013/6/9

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講壇の花

2013年06月09日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2013年06月02日 | 説教要約

「この曲がった時代から救われよ」 使徒行伝2章37~42節

聖霊を受けたペテロが、民に「この曲がった時代から救われよ」とメッセージを語りました。

Ⅰ 曲がった時代

 「この曲がった時代」とは、神が人を救うために送られた神の独り子、救い主である主イエスを十字架につけた時代であります。それは、神を拒否し反逆する行為であり、自らを神よりも上に置く、自らを神とする人の心の傲慢な時代であります。これは現代もまさしく同じであります。

Ⅱ 曲がった時代から救い

 神がペテロを通して語られた神の言葉に、人々は強く心を刺されます。神の言葉が語られると罪が示され、救いに対する切なる求道がなされるのです。救いを求める人々にペテロは、悔い改め(罪を認め謝り方向転換をする)と信仰の告白による洗礼を受けるように語りました。これらにより、聖霊は主イエスのなされた救いを、人々に与えるからであります。

 3000名の人々は、自らを神とする曲がった時代、曲がった心から救われ、神を神とする者たちとなったのです。

2013/6/2 説教者 杉本守

 

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天のマナ

2013年06月02日 | 天のマナ

「大人と子供の違い:霊的大人となる」

「大人と子供の違いは何ですか?」と問われたら、兄姉はどのように応えるでしょうか?

 私は、「自分一人の力で何でもできるし何でもしていると思い込み、また得ることだけで与えることを知らないのが子供であり、大人は、自分の一人の力で生きていると思うのではなく、自分は支えられて生かされていることを知っていて、また与える喜びを知っている」と応えます。若かりし時は、「自分で生きているし、今後も自分で生きていける」と思っていました。しかし、今は「神に生かされている、兄姉に祈られて支えられている」と実感し、さらに、「神に支えられ、兄姉に祈られていなければやっていけない」と思っています。

 「恵みある主 まさずば 一時だに え耐えじ   君まざずば この世の 物事みな 意味なし」。 新聖歌302「恵みある主」の歌詞が心に響いています。そして、さらに一歩進んで、「祈られていることに感謝しつつ、霊的な大人として祈り支える側にも立ち続ける者でありたい」と願っています。

 2013/6/2

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講壇の花

2013年06月02日 | 生花
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