静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年06月16日 | 天のマナ

 「伝道の第一歩」 

 「聖書は食物、祈りは呼吸である」と言われます。聖書の中に祈りは多く記されています。主イエス様も父なる神との交わりを欠かさず、祈りの時間を常に確保していました。賛美すること、み言葉をいただくこと、祈ることは私達の武器であり力であります。

 7月の祈祷課題より、「宣教の祈り」として、それぞれが福音を伝えたい人の名前を挙げて、教会員でお祈りをささげたいと願っています。伝道の第一歩目は、福音を伝えたい方の名前を挙げて祈ることから始まります。兄姉は、これから救われる家族のために祈り続けておられることでしょう。それを共に分かち合い、教会全体で祈りたいのです。それぞれが家族、友人、近所の方、職場の方など、一名でもいいので名前を挙げて祈りたいのです。祈りをささげていく時に、聖霊なる神がその方にわざをなしてくださるのです。

「また、祈りのとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう。」(マタイ21:22)

 そして伝道の第二歩目は、愛の行いです。祈りつつ愛をあらわしましょう。

2013/6/16

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主日礼拝説教要約

2013年06月16日 | 説教要約

「主権は主にある」 使徒行伝2章43~47節

 聖霊を受けた使徒達は、最初の教会を形成していきました。それはとても麗しい主のからだとしての教会でありました。

Ⅰ 力強く麗しい教会

 使徒たちによって多くの奇跡としるしがなされ、神をおそれる教会でありました。また、ささげ分け与える生活がなされ、宮へは礼拝に行き、聖餐、愛餐、祈りによる霊肉の交わりがなされ、さらに使徒たちによって主イエスの教えがなされ守られていました。教会内だけではなく、すべての人に好意をもたれていた群れでした。

Ⅱ 力強く麗しい教会をもたらした理由

 どうしてそのような教会となれたのでしょうか。それは聖霊に満たされていたことはもちろん、主権を主にした教会だからであります。「おそれの念が生じ」とは、主なる神への畏敬であり、主なる神こそが主権者であることです。いっさいの物を共有にして、必要に応じてみんなの者に分け与えられたというのも、財に関しても時に関しても、いや全てのものは自分の所有ではなく、主のものであり、主の主権がそこにあり、私は神のものを管理者として預かっているにすぎないという信仰があるからです。何か人間的なイデオロギーとか信念とかからでるものではありません。

 私たちも、十分の一献金をもって、すべては主のものであるということをあらわせて頂いていることを感謝します。さらに神を主権者として歩む教会であり、個人でありましょう。

2013/6/16 説教者 杉本守

 

 

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講壇の花

2013年06月16日 | 生花
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