「主イエスがそこにおられる」
先日、ある姉が入院している病院に、8名で訪問してきました。ベットを取り囲むようにして座り、聖歌を賛美して祈り、み言葉を読み短くメッセージをし、その姉妹にお祈りしていただき、最後に一人一人が彼女の耳元でお祈りをいたしました。その彼女は、「教会堂での礼拝に来たみたいだ」と嬉しそうに何度も言われていました。まさしく、主イエスがここに臨在され、主に拝した時でした。肉体はだんだん弱くなってきていますが、魂は神に満たされ平安でありました。「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」(Ⅱコリント4:16,17)。
「病気のときに見舞い」(マタイ25:36)と言われた主イエスは、病いの者を見舞うことを喜び、それは「わたしにしたのである」と続けています。それぞれ与えられた時に、訪問をさせていただきましょう。そこで主イエスを共に仰ぎ、主イエスにあわせていただきましょう。
2013/6/23