静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2013年04月07日 | 天のマナ

「わたしの主権者は誰?」   「ただわたしのみ主である」(イザヤ書43章11節)

 先週、教団主催の春キャンプが大島泉の家にて、「主権」というテーマで47名が参加し持たれました。「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。」(ローマ11:36)とあるように、万物は主のものであり、主が主権をもってらっしゃるのです。私たちはすぐに勘違いし、自分で生きているように思いますが、実は、私たちのいのちも神から託され、私たちは生かされているのであります。また、私たちの所有と思っている時間も体も財も物も将来も、実は私たちのものではなく、所有者は神であり、私たちは信頼され預けられている管理者であり、使わせていただいている使用者なのです。「私が努力して合格した。がんばって賞を得た。一生懸命仕事をしてお金を稼いだ。だから自分のもので、自分のしたいことをしてしたいことにお金を使ってよい」と考えます。努力や向上心は素晴らしいものですが、それすらもいのち、健康、空気や水や光、食物の実り・・・人間が生きる基本的なものを神様が備えてくださっているからできるのではないでしょうか」。「自分が、自分の」という高慢を捨て、自分の栄光のためではなく、主権者なる神の栄光のためにありたいです。この主権者なる神は、あなたを愛し最善の導きをしてくださる方であります。

2013/4/7

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講壇の花

2013年04月07日 | 生花
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天のマナ

2013年04月06日 | 天のマナ

「恐れからの解放なる救い」            

 「人はなぜ恐れるのでしょうか」。恐れの原因は何でしょうか。聖書ははっきりと示します。それは、「罪(神を認めず神に背を向けている)がある」からです。神から離れているままでは恐れの中にあり続けます。「死」をあげてみます。人は「死」を恐れます。その理由は、「死んだらどうなるのかと死後のことがわかっていない」からと言われますが、実は、人は死んだら永遠に滅びるとわかっているのです。なぜなら、神が与えた内にある良心が、自らが犯してきた罪を責めているからです。この良心の呵責を、ある者は人間の努力で埋めようとしたり、他のある者は無視しようとしたり、またある者は麻痺させようとしますができません。人間の何かでは恐れから逃れられず、恐れの原因である死、そして罪に勝てないからです。

 ではどうしたらよいのでしょうか。それらに勝利するには神の介入(神による救い)が必要なのです。だから、神は、そのひとり子を救い主としてこの世界に遣わし、この救い主に人の罪を負わせ、人の身代わりに十字架にかからせることによって人の罪を赦し、復活させることによって死に打ち勝たせ、永遠の滅びから救い、人に永遠の命を与えたのです。だから人は、主イエスを救い主と信じ神に立ち返る時、その救い(罪赦され、死に打ち勝ち、恐れから解放)を得られるのです。

 「罪の支払う報酬は死である。しかし、神の賜物は、わたしたち主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」(ローマ6:23)

2013・3・31

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