静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年05月09日 | 説教要約
「主はわたしの羊飼い」 詩篇23編1~6節

 「詩篇の真珠」とも呼ばれるこの詩篇から、主なる神との関係がどのようなものかおぼえよう。

Ⅰ 羊飼いである主なる神
 詩人は、主なる神を羊飼いにたとえ、自らを羊にたとえて、その両者の関係を体験的な信仰告白として語っています。
 羊飼いである主なる神は、羊である人を神のそばに導くお方であります。そこは、緑の牧場、憩いの汀である心身的な満たしがあり、魂を生き返らせる霊的必要の満たしがあります。さらには、途中で死のかげ谷を通ることがあってもその危険から、鞭(外的を追い払う)で守り、杖(そばに置く)で慰めるのです。

Ⅱ 導かれる羊なるキリスト者
 羊はとても弱い動物です。自分で食を得ることもできず、外的からも身を守れず、目が悪く迷いやすいのです。羊飼いがいなければ何もできません。まさしく人の姿です。
 しかし、羊飼いなる主なる神が共にいるキリスト者は幸いです。主なる神が共にいるので、乏しいことはなく、わざわいを恐れず、天への希望を持ち歩むことができているからです。

 主なる神を信じ救われたキリスト者は、主なる神とこのような豊かな命の関係にあるのです。この豊かな関係に今週も生きていきしょう。

2010/5/9 説教者 杉本守

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講壇の花

2010年05月09日 | 生花
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主日礼拝説教要約

2010年05月02日 | 説教要約
「主イエスに触れられて」 マタイ8章1~4節

 主イエスが、この世に来られた目的は、神の国(神の愛と恵みに満ちた支配)を到来させるためであります。5~7章において言葉もって神の国を到来させた主イエスは、8章からは行動(癒し、奇跡、悪霊の追放、死者をよみがえらせる)をもって、この世に神の国を到来させます。そしてその頂点は、十字架と復活であることは言うまでもありません。

Ⅰ 神への真剣な求め
 山上の説教を終え、山をくださって来る主イエスと群集の前に、一人の重い皮膚病を患う者が出て、ひれ伏したのであります。この病は、当時の社会では、最も嫌われていた病いであり、宗教的にも汚れたものであるとされていました。ゆえに、彼は体だけではなく、心においても非常な辛い中にありました。
 その彼がいのちを掛けて真剣に、主イエスの前に出てひれ伏し求めたのです。きっと彼も主イエスの言葉、神の国の到来を聴き、この方なら憐れみの心をもって、自らを癒し自らに神の国を到来させてくださるに違いと確信したのでしょう。
 「主よ、お心一つで、私をきよめることがおできになります」との彼の言葉から、自らがどういう者であるかを知る謙遜と主イエスへの確信、主イエスの神の権威を認める告白を見い出すのです。また、きよめられて神の前に立ち礼拝をささげ、神のものとされ神のみ旨にかないたくて、願ったのです。

Ⅱ 主イエスの憐れみによる応答
 主イエスは、真剣に求める信仰告白をし前に進み出た彼に、憐れみの心をあふれ出させ、誰も越えて中に入らない距離を越えて彼に触り、「わたしの心だ。きよくなれ。」と圧倒的な宣言をしたのです。触れることにより彼の病を担い、彼の今までの辛さや傷を担い、彼の罪をも担い、彼の願いを自らの思いとしてくださったのです。
 主イエスは彼を癒しきよめ、社会復帰させるだけではなく、神の前に立つ、礼拝をささげる者にしてくださったのです。

 主イエスは、今も主イエスの前に願い出る者に十字架のみ傷が残る手を伸ばし触れてくださり、きよめてくださり、主を礼拝する者にふさわしい者とし、主の栄光をあらわす者にしてくださるのです。
 
2010/5/2 説教者 杉本守
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天のマナ

2010年05月02日 | 天のマナ
 「声援を受けて」
 
 「わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのだから」
                              (ヘブル12:1)

 29日(木)祝日の午後に、高校の対抗野球試合の観戦に妻といってきました。第一の目的は、三女が吹奏楽部の一員として応援をする姿を見るためでした。最初に感動したのは、応援団、チェアーリーダー、吹奏楽部が一体的に応援をリードしている姿でした。「青春だなあ」と、主なる神が人に与えた「一致し一つの目標に向かう美しい姿」でした。しかし一方、試合の方は、序盤で7対0、三女の高校はヒット一本もでない、敗戦濃厚の模様でした。

 「これはコールド負けかな。親善試合にコールドはないか。」とつぶやく私、そして私を含めあきらめムードの観客に、「これから逆転するぞ」との応援団長の声が響きました。その思いが届いたのか、最初のヒットがなんとホームラン、あれあれと思っているうちに、7対5まで追い上げたのです。「あきらめない。Never give up!ここから、今から始まる」との思いで、応援する者達の目が輝いていました。試合の結果は、9対7で三女の高校は敗戦しましたが、私を含め多くの人が大切なことを教えられました。
 
 一致する恵み、信じて進んでいく恵み、共に今年度も宣教と教会形成に励みましょう。

2010/5/2
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講壇の花

2010年05月02日 | 生花
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