静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年05月02日 | 説教要約
「主イエスに触れられて」 マタイ8章1~4節

 主イエスが、この世に来られた目的は、神の国(神の愛と恵みに満ちた支配)を到来させるためであります。5~7章において言葉もって神の国を到来させた主イエスは、8章からは行動(癒し、奇跡、悪霊の追放、死者をよみがえらせる)をもって、この世に神の国を到来させます。そしてその頂点は、十字架と復活であることは言うまでもありません。

Ⅰ 神への真剣な求め
 山上の説教を終え、山をくださって来る主イエスと群集の前に、一人の重い皮膚病を患う者が出て、ひれ伏したのであります。この病は、当時の社会では、最も嫌われていた病いであり、宗教的にも汚れたものであるとされていました。ゆえに、彼は体だけではなく、心においても非常な辛い中にありました。
 その彼がいのちを掛けて真剣に、主イエスの前に出てひれ伏し求めたのです。きっと彼も主イエスの言葉、神の国の到来を聴き、この方なら憐れみの心をもって、自らを癒し自らに神の国を到来させてくださるに違いと確信したのでしょう。
 「主よ、お心一つで、私をきよめることがおできになります」との彼の言葉から、自らがどういう者であるかを知る謙遜と主イエスへの確信、主イエスの神の権威を認める告白を見い出すのです。また、きよめられて神の前に立ち礼拝をささげ、神のものとされ神のみ旨にかないたくて、願ったのです。

Ⅱ 主イエスの憐れみによる応答
 主イエスは、真剣に求める信仰告白をし前に進み出た彼に、憐れみの心をあふれ出させ、誰も越えて中に入らない距離を越えて彼に触り、「わたしの心だ。きよくなれ。」と圧倒的な宣言をしたのです。触れることにより彼の病を担い、彼の今までの辛さや傷を担い、彼の罪をも担い、彼の願いを自らの思いとしてくださったのです。
 主イエスは彼を癒しきよめ、社会復帰させるだけではなく、神の前に立つ、礼拝をささげる者にしてくださったのです。

 主イエスは、今も主イエスの前に願い出る者に十字架のみ傷が残る手を伸ばし触れてくださり、きよめてくださり、主を礼拝する者にふさわしい者とし、主の栄光をあらわす者にしてくださるのです。
 
2010/5/2 説教者 杉本守
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