静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2010年05月16日 | 説教要約
「神の言葉をいただく」 マタイ8章5~13節

 百卒長の僕の癒しから、主イエスによる神の国の訪れをみていきましょう。
 
Ⅰ 主イエスに喜ばれる信仰
 この百卒長は、ローマの軍の百人部隊の長であり異邦人であります。一方、主イエスはロマに支配される国の一人の者でありました。しかし、彼は主イエスのもとに使いを遣わすのです。彼の僕への愛と主イエスへのメシヤとしての思いがそれをなさせたのであります。
 「ただお言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」とそれに続く彼の言葉には、主イエスのメシヤとしての絶対的権威と主イエスの言葉の絶対的な力を認めた信仰告白であります。
 主イエスは、彼の信仰を喜び、その信仰に応え、「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われ、その僕を癒されました。

Ⅱ 主イエスに喜ばれない信仰
 しかし、主イエスは百卒長の信仰をほめると反対に、選民意識にあぐらをかくイスラエル人に、神の言葉に対する彼のような信仰が見られないことを嘆き、「この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする」と警告的に語られました。さらには、「多くの人が東から西から来て天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につく」と異邦人への福音を述べられたのです。

 主イエスに喜ばれる信仰とは、主の言葉をいただき信じることであります。信仰は信念とは違います。信念は自分を自分の意志を根拠にしていますが、信仰は神を神の言葉を根拠にしています。いつも変わらず強くある神を土台にできる幸いを感謝するのです。神の言葉をいただき、体験していこうではありませんか。

説教者 杉本守
2010/5/16
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天のマナ

2010年05月16日 | 天のマナ
 「主と共に歩む実感」

 先日の祈祷会だったでしょうか、一人の兄弟が、自転車で清水方面に行かれた話しをしてくださいました。その兄弟は自転車や徒歩で方々へ行かれているというのです。

 先週、私も健康のため、朝8時前に車で海岸までいき、久能の海岸線の素晴らしい景色を見ながら1時間ほどウォーキングをしてきました。腰には水筒を入れたウエストポーチ、帽子とサングラス、左手にはセル・グループ表をもち歩きました。

 ワーシップを口ずさみ、心にある御言葉を何度も告白し、セル・グループ表をチラチラと見ながら、一人一人のために祈りました。折り返し地点からは、オリジナルの新曲の一部を、「こうか、ああか」と楽しい時間でした。ジョギングをしている方々もいました。ゆったりとした気持ちになり、主と共に歩いてくださっていることを実感しました。

 日常の忙しさにせかせかしたり、時代や社会の急動の中に追われたりして、主イエスとの交わりの豊かさをあじわう時が少なくなってしまうことがないように、1時間、30分だけでも時間を生み出し、主イエスと共に歩む喜びを実感していこうではありませんか。

 主イエスは、あなたに話しかけたいし、あなたに語りかけてほしいと思っておられます。
「見よ、わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいるのである。」(マタイ28:20)

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講壇の花

2010年05月16日 | 生花
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