「神の言葉をいただく」 マタイ8章5~13節
百卒長の僕の癒しから、主イエスによる神の国の訪れをみていきましょう。
Ⅰ 主イエスに喜ばれる信仰
この百卒長は、ローマの軍の百人部隊の長であり異邦人であります。一方、主イエスはロマに支配される国の一人の者でありました。しかし、彼は主イエスのもとに使いを遣わすのです。彼の僕への愛と主イエスへのメシヤとしての思いがそれをなさせたのであります。
「ただお言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」とそれに続く彼の言葉には、主イエスのメシヤとしての絶対的権威と主イエスの言葉の絶対的な力を認めた信仰告白であります。
主イエスは、彼の信仰を喜び、その信仰に応え、「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われ、その僕を癒されました。
Ⅱ 主イエスに喜ばれない信仰
しかし、主イエスは百卒長の信仰をほめると反対に、選民意識にあぐらをかくイスラエル人に、神の言葉に対する彼のような信仰が見られないことを嘆き、「この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする」と警告的に語られました。さらには、「多くの人が東から西から来て天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につく」と異邦人への福音を述べられたのです。
主イエスに喜ばれる信仰とは、主の言葉をいただき信じることであります。信仰は信念とは違います。信念は自分を自分の意志を根拠にしていますが、信仰は神を神の言葉を根拠にしています。いつも変わらず強くある神を土台にできる幸いを感謝するのです。神の言葉をいただき、体験していこうではありませんか。
説教者 杉本守
2010/5/16
百卒長の僕の癒しから、主イエスによる神の国の訪れをみていきましょう。
Ⅰ 主イエスに喜ばれる信仰
この百卒長は、ローマの軍の百人部隊の長であり異邦人であります。一方、主イエスはロマに支配される国の一人の者でありました。しかし、彼は主イエスのもとに使いを遣わすのです。彼の僕への愛と主イエスへのメシヤとしての思いがそれをなさせたのであります。
「ただお言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」とそれに続く彼の言葉には、主イエスのメシヤとしての絶対的権威と主イエスの言葉の絶対的な力を認めた信仰告白であります。
主イエスは、彼の信仰を喜び、その信仰に応え、「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われ、その僕を癒されました。
Ⅱ 主イエスに喜ばれない信仰
しかし、主イエスは百卒長の信仰をほめると反対に、選民意識にあぐらをかくイスラエル人に、神の言葉に対する彼のような信仰が見られないことを嘆き、「この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする」と警告的に語られました。さらには、「多くの人が東から西から来て天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につく」と異邦人への福音を述べられたのです。
主イエスに喜ばれる信仰とは、主の言葉をいただき信じることであります。信仰は信念とは違います。信念は自分を自分の意志を根拠にしていますが、信仰は神を神の言葉を根拠にしています。いつも変わらず強くある神を土台にできる幸いを感謝するのです。神の言葉をいただき、体験していこうではありませんか。
説教者 杉本守
2010/5/16