「主はわたしの羊飼い」 詩篇23編1~6節
「詩篇の真珠」とも呼ばれるこの詩篇から、主なる神との関係がどのようなものかおぼえよう。
Ⅰ 羊飼いである主なる神
詩人は、主なる神を羊飼いにたとえ、自らを羊にたとえて、その両者の関係を体験的な信仰告白として語っています。
羊飼いである主なる神は、羊である人を神のそばに導くお方であります。そこは、緑の牧場、憩いの汀である心身的な満たしがあり、魂を生き返らせる霊的必要の満たしがあります。さらには、途中で死のかげ谷を通ることがあってもその危険から、鞭(外的を追い払う)で守り、杖(そばに置く)で慰めるのです。
Ⅱ 導かれる羊なるキリスト者
羊はとても弱い動物です。自分で食を得ることもできず、外的からも身を守れず、目が悪く迷いやすいのです。羊飼いがいなければ何もできません。まさしく人の姿です。
しかし、羊飼いなる主なる神が共にいるキリスト者は幸いです。主なる神が共にいるので、乏しいことはなく、わざわいを恐れず、天への希望を持ち歩むことができているからです。
主なる神を信じ救われたキリスト者は、主なる神とこのような豊かな命の関係にあるのです。この豊かな関係に今週も生きていきしょう。
2010/5/9 説教者 杉本守
「詩篇の真珠」とも呼ばれるこの詩篇から、主なる神との関係がどのようなものかおぼえよう。
Ⅰ 羊飼いである主なる神
詩人は、主なる神を羊飼いにたとえ、自らを羊にたとえて、その両者の関係を体験的な信仰告白として語っています。
羊飼いである主なる神は、羊である人を神のそばに導くお方であります。そこは、緑の牧場、憩いの汀である心身的な満たしがあり、魂を生き返らせる霊的必要の満たしがあります。さらには、途中で死のかげ谷を通ることがあってもその危険から、鞭(外的を追い払う)で守り、杖(そばに置く)で慰めるのです。
Ⅱ 導かれる羊なるキリスト者
羊はとても弱い動物です。自分で食を得ることもできず、外的からも身を守れず、目が悪く迷いやすいのです。羊飼いがいなければ何もできません。まさしく人の姿です。
しかし、羊飼いなる主なる神が共にいるキリスト者は幸いです。主なる神が共にいるので、乏しいことはなく、わざわいを恐れず、天への希望を持ち歩むことができているからです。
主なる神を信じ救われたキリスト者は、主なる神とこのような豊かな命の関係にあるのです。この豊かな関係に今週も生きていきしょう。
2010/5/9 説教者 杉本守