静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2009年12月13日 | 天のマナ
「神の家族を天に送る」
 
 私達は、11日(金)に神の家族である姉妹を、葬儀において神の国へ送りました。姉妹は88年の生涯、主なる神からの地上での使命を全うされたのであります。そして、主が用意してくださった神の国の家に招かれたのであります。姉妹の葬儀を通して、地上では再び見ることができない悲しみの中にも、罪と死に勝利した主イエスによる福音の豊かさによる神の国での再会という希望と慰めをいただいたのでありました。また、この葬儀によって主の御名がたたえられ、多くの人に福音を伝える伝道の機会ともなりました。

「主の聖徒の死はそのみ前において尊い」(詩篇116篇15節) 

 主を信じる聖徒の死は、悲しみ、空しさ、あきらめを残す死とは違い、その聖徒の全うした生涯を、魂を、主は尊いものとして喜んで受け入れて下さると同時に、多くの主の実を私達に残してくれるのです。聖徒なる姉妹の存在と生涯を通して、神の愛を示してくださった主なる神をほめたえます。

2009/12/13
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主日礼拝説教要約

2009年12月13日 | 説教要約
「救い主を迎える」 ルカによる福音書2章1~7節

 馬小屋に生まれ、飼い葉おけに寝かされた救い主イエスの箇所を通して、クリスマスメッセージに耳を傾けていきましょう。

Ⅰ 救い主を迎えられなかった人々
 多くの人々は長年にわたり、救い主を待望していました。しかし、いざ救い主が降誕された時、救い主を迎えられた人々はわずかでした。ベツレヘムの宿屋にいた人々や旧約聖書の救い主の預言を研究してた者達も迎えられませんでした。なぜでしょうか?それは、自分の日常の忙しさに追われていたり、自分のプライドが邪魔をして、救い主をお迎えするスペースを空けていなかったり、空けられなかったのです。だから一番大切な救い主をお迎えできなかったのです。

Ⅱ 救い主を迎えた人々
 救い主を迎えたのは、羊飼い達や博士達でした。彼らは、救い主の降誕を知って、何よりもそれを優先したのです。日常のことよりも、自らのプライドに固執するよりも、救い主を強く求めていたのです。そして、救い主をお迎えしたのは、馬小屋の飼い葉おけでした。きたない、臭い、暗い馬小屋の飼い葉おけでしたが、救い主をお迎えしたのです。

 あなたは、救い主の入るスペースをお持ちですか?たとえ、飼い葉おけのような心であっても、救い主イエスは喜んで入ってきてくださいます。お迎えしましょう。

2009/12/13 説教者 杉本守
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講壇の花

2009年12月13日 | 生花
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