「神の働きに参加させていただく」
庭いじりの好きな牧師がいた。彼が庭で作業をしていると、小さい息子が、「僕も手伝う」と言って庭に降りてきた。それで親子で庭いじりを始めたのだが、息子は荒っぽく植物を扱うので、その後始末に手が取られ、いつもの二倍の時間がかかってしまった。すべてが終わった時に、息子は家の中にいる母親の所に走っていって、「僕がみなしたよ」と叫んだそうだ。しかし、彼は友人に次のように話している。「僕は息子と庭いじりをすることが何よりの楽しみなんだ」。
天の父は、子どもである私達の働きを必要とされるだろうか。彼はただ一人、言葉によって世界を創造された方である。私たちは手伝うつもりでも、かえって手間をかけてしまっていることのほうが多いのかもしれない。しかし、父は私たちと働くことが楽しみなので、あわれみによって私たちを招いてくださっている。だから、私たちも父と共に働くことを楽しもう。神を中心とした愛の交わりの中で、人が育てられていくというエキサイテングな働きに参加させていただこう。
(バルナバのように人を育てる)福田充男師著より抜粋
庭いじりの好きな牧師がいた。彼が庭で作業をしていると、小さい息子が、「僕も手伝う」と言って庭に降りてきた。それで親子で庭いじりを始めたのだが、息子は荒っぽく植物を扱うので、その後始末に手が取られ、いつもの二倍の時間がかかってしまった。すべてが終わった時に、息子は家の中にいる母親の所に走っていって、「僕がみなしたよ」と叫んだそうだ。しかし、彼は友人に次のように話している。「僕は息子と庭いじりをすることが何よりの楽しみなんだ」。
天の父は、子どもである私達の働きを必要とされるだろうか。彼はただ一人、言葉によって世界を創造された方である。私たちは手伝うつもりでも、かえって手間をかけてしまっていることのほうが多いのかもしれない。しかし、父は私たちと働くことが楽しみなので、あわれみによって私たちを招いてくださっている。だから、私たちも父と共に働くことを楽しもう。神を中心とした愛の交わりの中で、人が育てられていくというエキサイテングな働きに参加させていただこう。
(バルナバのように人を育てる)福田充男師著より抜粋