静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

6/21 主日礼拝説教要約

2009年06月21日 | 説教要約
「私に呼び求めよ」 詩篇3篇1~8節

 この詩篇は表題にあるように、サムエル記下13~17章が背景となっています。この箇所から主のメッセージをいただきましょう。

Ⅰ 危機的な状況な中での嘆き
 ダビデ王には、優秀な議官アヒトペルがいましたが、ダビデの息子アブサロムの反逆時に彼はダビデ王を離れ、アブサロムについてしまいました。このことの故にダビデは王座を追われ、はだしで都落ちしていきます。
 息子の反逆、側近の裏切り、自らの育て方の誤りなど情けない思いと命を狙われる危険という中でダビデは嘆きました。

Ⅱ 神の救いと支え
 1~2節にあるように嘆きで始まっているこの詩篇ですが、3節からは変わります。ダビデは神に目を向け、この中で、「しかし、主よ」と信仰告白をしています。「主は私を囲む盾、私の栄え、わたしの頭をもたげてくださる方」と。
 こんな状況でも、神を見上げ、神に触れられた者は、平安をもって休み、主が救い支えてくださるという確信を持ち、神への賛美に嘆きがかえられているのです。
 神は、アヒトペル、アブサロムの策略をなきものにし、ダビデをもう一度王座に戻すのでした。

 主なる神は、私達が呼ばわる時に、救い支えてくださる方であります。
 この主に呼ばわり主の支えの中で、今週も歩んでいきましょう。

2009/6/21 説教者 杉本 守
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2009年06月21日 | 天のマナ
「神の働きに参加させていただく」
 
 庭いじりの好きな牧師がいた。彼が庭で作業をしていると、小さい息子が、「僕も手伝う」と言って庭に降りてきた。それで親子で庭いじりを始めたのだが、息子は荒っぽく植物を扱うので、その後始末に手が取られ、いつもの二倍の時間がかかってしまった。すべてが終わった時に、息子は家の中にいる母親の所に走っていって、「僕がみなしたよ」と叫んだそうだ。しかし、彼は友人に次のように話している。「僕は息子と庭いじりをすることが何よりの楽しみなんだ」。

 天の父は、子どもである私達の働きを必要とされるだろうか。彼はただ一人、言葉によって世界を創造された方である。私たちは手伝うつもりでも、かえって手間をかけてしまっていることのほうが多いのかもしれない。しかし、父は私たちと働くことが楽しみなので、あわれみによって私たちを招いてくださっている。だから、私たちも父と共に働くことを楽しもう。神を中心とした愛の交わりの中で、人が育てられていくというエキサイテングな働きに参加させていただこう。

           (バルナバのように人を育てる)福田充男師著より抜粋 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講壇の花

2009年06月21日 | 教会案内
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする