静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年12月21日 | 説教要約
「救い主に出会う」マタイによる福音書2章1~12節

 第四アドベントの礼拝です。世界で最初のクリスマス、救い主の降誕を見い出し、救い主に出会えた人はわずか、羊飼い達と博士達でした。どうして、博士達は世界で最初のクリスマスに、救い主に見えたのでしょうか。

Ⅰ 救い主を求める
 この博士達は、大国ペルシャで星の運行を観察しながら、季節の移り変わりや物事の吉兆を国の指導者に伝える役割をしていた、地位も名誉も財もある博学な博士たちでありました。
 彼らは、宇宙に広がる星々を観察しながら、その広大さ、力強さ、命にあふれることを感じ、それと共に自らの小ささや自らの存在の貧しさを知らされていたのでしょう。私達も大自然や大宇宙に心身を寄せますと同じことを感じるものです。
 そこへ、大きな特別な星が輝きます。彼らはその星に驚き、特別な特別なメッセージを受け取ります。それは、特別なユダヤの王の誕生です。ユダヤはペルシャから比べれば小さな国です。それなのに彼らは何ヶ月もかけて、労力、財、時をかけて拝みに行くというのです。彼らは、エルサレムに着き、ヘロデ王から、それは救い主(キリスト)の誕生であることを知り、特別な星、特別な誕生の意味がわかったのでした。

Ⅱ 救い主に出会う喜び
 彼らは星に導かれ旅を続け、星が一軒の家の上に留まった時、救い主に出会える喜びに溢れました。そして、まだ幼い救い主の前に、ひざまずき礼拝をささげ、黄金、乳香、役薬を贈り物をいたしました。この贈り物は、王の王であり、神と人の間でとりなす真の祭司、あがない主である救い主をあらわしているのです。博士達は、救い主に出会い拝し、喜びに溢れ帰途に着いたのでした。

 私達もこのクリスマス、博士達のように救い主を求め、救い主に出会い喜びで満たされましょう。

2008/12/21 説教者 杉本守
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天のマナ

2008年12月21日 | 天のマナ
 「こころの貧しい人はさいわい」  
 クリスマスおめでとうございます。
 クリスマスとは、神に愛されている私達人間が幸いを得る時であります。

「こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。」
(マタイによる福音書5章3節)と御言にあります。

 ギリシャ語の「貧しい」と訳せる語は二つあり、一つは「ペネース」で、「余裕のないその日暮らし」という程度の貧しさを意味しています。しかし、ここで使われているのは、「プトーコス」であり、「貧困に打ちひしがれた状態」という強く深い貧しさをあらわしています。もちろんここでは、経済的な貧しさを意味しているのではなく、心の貧しさが語られています。

 つまり、自分の心には、自分をも人をも潤し平安を与えるものがない。私の心は、内側は、渇いていて不安があると認める者のことであります。どうして、このような者が幸いなのでしょうか。それは、真に自分を知って認めている者は、救いを真剣に求めるからであります。神を見い出そうとします。
 
 その結果、神を求める者を神はほっておかず、私達が神を見い出す先に、神が私達を見い出し救いの手を伸べ、神を信じる者を救い、心を神の平安の支配で満たすからであります。これこそ真のクリスマスであり、神の国の到来なのです。

2008/12/21
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講壇の花

2008年12月21日 | 生花

Merry Christmas


掲載者:岩崎

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