静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2008年08月10日 | 説教要約
「神に選ばれた者」 使徒行伝9章10~22節

 サウロ(パウロ)という人物は、キリスト教の歴史の中で、主の偉大な器であり、三回の伝道旅行、新約聖書の中の手紙を多く書いた者であります。彼は最初からそのような器であったのではなく、神の召しと取り扱いによって、その働きをする者とされたのです。特に、彼が救われる時の三人の神の器の働きは欠かせませんでした。
 すでにステパノのことは語りましたので、今回はアナニヤを取り上げ、来週はバルナバを見たいと願います。

Ⅰ 用いるために選ばれる主
 ダマスコの途上で復活の主イエスに会ったサウロは、目が見えなくなります。主なる神は、ダマスコにいる無名の一人の弟子に、「サウロの所に行って、サウロのために祈りなさい」と告げます。アナニヤは迫害者であったサウロを恐れますが、
神の言葉に従い、サウロの所へ行って祈ります。主なる神の言葉と使命を告げるのです。サウロは、主イエスを救い主と信じ告白し、洗礼をアナニヤから受けます。
 主なる神は、サウロをそしてアナニアを選び、新しい御業を進めなさったのです。

Ⅱ 主からの使命に生きる
 サウロは、主なる神から使命をいただきます。それは、福音を全世界に伝えるということでした。神の本当の御心がわかり、旧約聖書の真理が開かれたサウロは、大胆に福音を伝えていきました。
 
 アナニヤの信仰と忠実さが大きな実を結んだことをおぼえます。サウロはサウロとして、アナニヤはアナニヤとして、それぞれに与えられた使命を果たす者でありたいのです。

2008・8・10 説教者 杉本守
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講壇の花

2008年08月10日 | 生花

掲載者:岩崎 

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天のマナ

2008年08月03日 | 天のマナ
「聖霊なる神の恵み」 (夏季聖会の恵み)A・N

「今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」(ロマ8章1~2節)

 去る第58回の箱根での夏季聖会においてローマ8章より、御言の説き明かしがなされました。6年前病気で倒れられ、一時は声も出なかったほどの小林和夫師が、再び力強く恵みの主を語り、癒された事をお証しされました。「聖書全体が指輪だとするとローマ8章は宝石のごとく輝いている箇所であり、テーマは聖霊なる神である。神ご自身が人となって私達の世界においで下さった事が、最大の摂理であって、カルバリの血潮とペンテコステの聖霊によって、私達に福音がもたらされた。聖霊に導かれていると自覚を持って歩んでいるのが神の子である。救われている、きよめられているという確証を持つことを教えてくださるのが聖霊なる神だ」と語られた。聖霊は、神の子とされた者の中に宿り、罪と死の支配から解放し、御子イエスにあるいのちの支配の中を歩ませて下さり、成長させ、やがて完成へと導いて下さる多いなる方なのです。

 その神のあわれみによって見出され、愛され、どんな時にも、共にいて励ましてくださると信じて歩んで
いきたいと願っています。

2008/8/3
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主日礼拝説教要約

2008年08月03日 | 説教要約
「真心から信じるなら」 使徒行伝8章26~40節

 ステパノの殉教を機に、本格的な迫害がエルサレムのある各教会になされ、キリスト者は散らされていきました。その中の一人の信徒でエルサレム教会の執事でありましたピリポを見ながら、神に用いられる器とはどういう者かを語らせていただきます。

Ⅰ 神の声に従う者 
 ピリポは、サマリヤへ行き、御言葉とそれに伴うしるしをもって、福音宣教をしました。多くの人が主イエスを救い主と信じ救われ、教会が形成されました。そんな中、神の「エルサレムから荒野のガザへ下りなさい」との声が彼にかかります。
彼はサマリヤでの活躍の場をあとにし、迫害の地エルサレム、そして荒れ果てたガザへ向かうのです。ここに神の声に聞き従う、きよめられた信仰者の姿を見るのです。
 さらに、彼は「エチオピア人の女王カンダケの高官であった者に近づきなさい」との神の声に従います。神の声に聞き従う者を神はお用いになさいます。

Ⅱ 神の御用に備えている者
 この高官は、イザヤ書53章を読んでいました。しかし、その箇所が誰のことを指して語られているのかを理解できませんでした。そこへ、ピリポが遣わされ、その箇所は、救い主の預言の箇所であり、それは救い主イエスによって成就された十字架の箇所であることを示し、高官に主イエスによってなされた救いを伝えたのでした。ピリポは、正しく聖書を理解し、福音を信じていたので用いられたのでした。高官は、真心から信じて、救われ洗礼を受けたのでした。

 私達も、神の声に聞き従い、信仰をあつく聖書を理解し、主に用いられる者でありたいのです。

2008/8/3 説教者 杉本守
 
 
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講壇の花

2008年08月03日 | 生花

 掲載者:岩崎

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