「見えるようになることです」 マルコによる福音書10章46~52節
人生にはいろんなチャンスがあります。そのチャンスを逃さないで、つかまえることができたらどんなに幸いでしょうか。バルテマイという盲人が、主イエスに会うチャンスを逃さないで、主イエスの前にでたのです。
Ⅰ 憐れみを求める者
彼は盲人でありました。そして、毎日エリコの外でものごいをしていたのです。彼の生活、心情を想像するとそれはみじめな希望のない歩みであったのではないでしょうか。しかし、彼は主イエスが通りかかるのを逃しませんでした。彼は、このチャンスを逃してなるものかとの激しい求めを叫び続けることによってあらわします。「救い主よ。私を憐れんでください」と。彼は、自分の姿をよく知っていました。神の前にでる功績もない、そういう存在でもない。ただ、神のあわれみがくだるのを待つしかないと。その憐れみを切に切に求めたのです。群集は彼を黙れさせようとしますが、彼をとめることはできませんでした。
Ⅱ 求める者を憐れむ主イエス
切に求める者を主イエスは、ほって置くはずがありません。主イエスは、彼を呼び、彼を見つめ、彼の痛んだ歩みと心を知り、内臓がよじれるほどのあわみをお持ちになりました。そして彼に「私に何をしてほしいのか」と訪ねました。この問いは、彼が言葉として自分の願いと信仰を告白し、さらなる自覚をするためであります。彼は、「見えるようになることです」と告白します。主イエスは、彼の目に触れ、彼の信仰の受け皿に、神の奇蹟と恵みを豊かに注ぎ、癒されたのでした。
私達は、どんな告白をもって主の前に求め出ているでしょうか。チャンスを逃してはいけません。切なる信仰の求めを持って出るときに、主の御業はあなたにもなされるのです。
2007/10/7 説教者 杉本守
人生にはいろんなチャンスがあります。そのチャンスを逃さないで、つかまえることができたらどんなに幸いでしょうか。バルテマイという盲人が、主イエスに会うチャンスを逃さないで、主イエスの前にでたのです。
Ⅰ 憐れみを求める者
彼は盲人でありました。そして、毎日エリコの外でものごいをしていたのです。彼の生活、心情を想像するとそれはみじめな希望のない歩みであったのではないでしょうか。しかし、彼は主イエスが通りかかるのを逃しませんでした。彼は、このチャンスを逃してなるものかとの激しい求めを叫び続けることによってあらわします。「救い主よ。私を憐れんでください」と。彼は、自分の姿をよく知っていました。神の前にでる功績もない、そういう存在でもない。ただ、神のあわれみがくだるのを待つしかないと。その憐れみを切に切に求めたのです。群集は彼を黙れさせようとしますが、彼をとめることはできませんでした。
Ⅱ 求める者を憐れむ主イエス
切に求める者を主イエスは、ほって置くはずがありません。主イエスは、彼を呼び、彼を見つめ、彼の痛んだ歩みと心を知り、内臓がよじれるほどのあわみをお持ちになりました。そして彼に「私に何をしてほしいのか」と訪ねました。この問いは、彼が言葉として自分の願いと信仰を告白し、さらなる自覚をするためであります。彼は、「見えるようになることです」と告白します。主イエスは、彼の目に触れ、彼の信仰の受け皿に、神の奇蹟と恵みを豊かに注ぎ、癒されたのでした。
私達は、どんな告白をもって主の前に求め出ているでしょうか。チャンスを逃してはいけません。切なる信仰の求めを持って出るときに、主の御業はあなたにもなされるのです。
2007/10/7 説教者 杉本守
「聞くに早く」
聖会委員会で本部に行った帰りに、東宣社(キリスト教書店)で一冊の単行本を購入して、新幹線で読んでいました。「こころの対話25のルール」という題名の本です。人の話す事を最後まで聞き、その人の感じていることを感じ、描いている光景を見ることが大切であるという内容でした。
人によっては、最初から心を開き本音や結論を言う人もいますし、半ばになってからの人もいます。いやいや最後にという人が一番多いのではないでしょうか。時間に追われて忙しい世の中に歩む私達は、ついつい人が語る間に割り込んで口を挟んでしまいます。特に頭の回転の速い人や知識が豊富にある人は気をつける必要があるということです。相手の話を聞きながら、実は次に自分がどう話そうかと考えていて、相手が話している時も聞かずに、自分が自分に話していて、話してばかりだと言うのです。もちろんすべての時に全部聞くことは難しいでしょうが、ここは押さえておくべき大切な話の場合は、最後まで聞いてから話したいものです。
「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである」(ヤコブの手紙1章19節)
2007/10/7
聖会委員会で本部に行った帰りに、東宣社(キリスト教書店)で一冊の単行本を購入して、新幹線で読んでいました。「こころの対話25のルール」という題名の本です。人の話す事を最後まで聞き、その人の感じていることを感じ、描いている光景を見ることが大切であるという内容でした。
人によっては、最初から心を開き本音や結論を言う人もいますし、半ばになってからの人もいます。いやいや最後にという人が一番多いのではないでしょうか。時間に追われて忙しい世の中に歩む私達は、ついつい人が語る間に割り込んで口を挟んでしまいます。特に頭の回転の速い人や知識が豊富にある人は気をつける必要があるということです。相手の話を聞きながら、実は次に自分がどう話そうかと考えていて、相手が話している時も聞かずに、自分が自分に話していて、話してばかりだと言うのです。もちろんすべての時に全部聞くことは難しいでしょうが、ここは押さえておくべき大切な話の場合は、最後まで聞いてから話したいものです。
「人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである」(ヤコブの手紙1章19節)
2007/10/7