静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2007年10月13日 | 説教要約
「主がお入用なのです」 マルコによる福音書11:1~11

 主イエスは、神の国の到来(神の国の支配)を言葉と行動をもってなさていました。そして、いよいよ十字架による贖いをなすためにエルサレムへ入城します。その入城はロバの子に乗ってというものでした。

Ⅰ 主に用いられる者
 主イエスは、軍馬ではなくロバを用いたのでありました。ロバは、運馬のように見栄えもなく、力もなく、俊敏さもありません。しかし、ロバは、忍耐強く主人に従順であります。けれども、これはしつけられた大人のロバであります。主イエスが用いられたのは、子供のロバでありました。まだ十分にしつけられていない子ロバに目を留められたのであります。
 主は、たとえまだ不十分な者さえも、主の御用に用いることをされる方であります。

Ⅱ 主に用いられること
 では、この子ロバは主の為に何をしたのでしょうか。大きな功績を残したのではありません。人の目をひきつける様なパフォーマンスでもありません。子ロバがしたことは、まず、「主イエスを小お乗せした」ということです。そして、「主イエスを運んだ」ということです。地味な働きかもしれませんが、これがクリスチャンのなすべき務めではないでしょうか。

 私達は、家庭に職場に学校に地域に、誰を乗せて運んでいるでしょうか。自分自身ではなく、主イエスをお載せして運ぶものになりたいのです。
 
2007/10/13 説教者 杉本 守
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天のマナ

2007年10月13日 | 天のマナ
 「真剣に求める時に」  
 「求めよ。そうすれば、与えられるであろう」(マタイ7:7)。
 
 11日(木)シメオン・セルの後、牧師は駿府学園に情操教育講話の為に行ってきました。70名位の生徒達が、全員丸刈りの頭、きちんとした姿勢で、聖書の福音に聞き入っていました。親の愛を十分に受けられなかった環境や自分を認められなかった環境などに育ち、心の傷によって、間違った方向に自らを出してしまったのでしょうか。この駿府学園で自分を見つめ直し、職員の先生方の愛に包まれて、新しい歩みを始めようとしているのです。
 
 聖書より、「あなたの存在は神の宝であること、人生の目的は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること、そして人生のゴールである天国を目指して、真実な誠実な歩みをしてほしいこと」を伝えてきました。
 
 講話の後、質問タイムを持ちました。今回は1時間10分の中で、40分時間をとりましたが、たくさんの真剣な質問で今回も時間が足りませんでした。「カトリックとプロテスタントの違いは?」「罪は本当に赦されるのか」「イエスは神なのか」「十字架の意味は」「聖書はどこで売っているのか」「幽霊・悪霊はいるか」などした。

 物を人の好意を求めるよりも、神様を神の救いを求めるものでありたいのです。

2007/10/13
コメント (2)
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