「恵みを慕い求めて」
先日、持たれました静岡教区の新年聖会は、ガラテヤ5、6章より「きよめ」のメッセージが語られました。静岡教区の各教会から、午前は54名、午後は57名の聖徒の方々が集い、主の豊かな命を体験いたしました。グレース・チャペルからも18名の聖徒の方々が集いました。その中に、二人の求道者の方々が、積極的に主の恵みを求めて、参加下さった事に大変うれしく励まされました。主の御名を崇めます。
午前の聖会の御言葉は、「御霊によって歩きなさい」でした。肉によって歩んではいけないということです。御霊とは、聖霊なる神様ことです。ですから、「御霊によって」とは、信じる者の内に入っておられる聖霊なる神様によって歩むのです。つまり、神を信じ、神の御心を知り、神の言葉に従って生きるということです。「肉によって」とは、神から離れた自己中心的な自己欲によって歩むことです。
その結果は次のような具体的な実を結んでいきます。「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいです」。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:19~21、22,23)なのです。
先日、持たれました静岡教区の新年聖会は、ガラテヤ5、6章より「きよめ」のメッセージが語られました。静岡教区の各教会から、午前は54名、午後は57名の聖徒の方々が集い、主の豊かな命を体験いたしました。グレース・チャペルからも18名の聖徒の方々が集いました。その中に、二人の求道者の方々が、積極的に主の恵みを求めて、参加下さった事に大変うれしく励まされました。主の御名を崇めます。
午前の聖会の御言葉は、「御霊によって歩きなさい」でした。肉によって歩んではいけないということです。御霊とは、聖霊なる神様ことです。ですから、「御霊によって」とは、信じる者の内に入っておられる聖霊なる神様によって歩むのです。つまり、神を信じ、神の御心を知り、神の言葉に従って生きるということです。「肉によって」とは、神から離れた自己中心的な自己欲によって歩むことです。
その結果は次のような具体的な実を結んでいきます。「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいです」。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:19~21、22,23)なのです。